階段だけど「国道」 日本唯一の珍スポットにあった“拡張計画”とは? 世紀の国家プロジェクトの裏で
最盛期には子供らでにぎわったことも
現在、階段国道がある場所には、中腹付近に「竜飛中学校」、丘の上には「竜飛小学校」がそれぞれあり、地元の人々は階段国道のルートを学校の通学路として利用していたのです。 これらは村立の学校でしたが、付近はかつて青函トンネルの本州側の掘削拠点となっていた関係で、その工事関係者の子供らが通っており、小学校の児童数はピーク時の1980年には133名にもなったそうです。 国道指定時には中腹の中学校までの階段は整備されていましたが、それより上の小学校までの道は坂道のままだったとのこと。そして、小学校の児童数の増加に伴って、1980年代に中腹から上部分までの坂道も階段として整備され、これが現在の国道階段の原点となりました。 ただ、1988年の青函トンネル開通後は村から工事関係者が多数転出したことで子供が激減。中学校が1984年、小学校が1989年に閉校すると、階段国道は通学路として利用されなくなりました。当時の学校の校舎はすべて取り壊されていますが、中腹の竜飛中学校があった場所は、現在でも避難所の建物と学校跡の記念碑があり、当時の面影を残しています。 階段国道はそのユニークな名称とビジュアルで有名となりましたが、なかなかその歴史までは知られることはありません。付近には龍飛岬観光案内所「龍飛館」や青函トンネル記念館などがあり、この地域の歴史の変化を楽しめる施設もあります。 残念ながら冬期は通行止めになってしまいますが、春夏の観光シーズンにはぜひ訪れてみてほしい観光地だと、現地へ行って改めて感じました。
布留川 司(ルポライター・カメラマン)