TKO 木本武宏&木下隆行の再起に密着! 50代、フリーのコント師が人生のドン底で気づいたこと
4人掛けの小さなテーブルの上には、文房具とギッシリと文字がプリントされたA4用紙、ティッシュがあるばかり。高価な調度品もなく、壁に飾られたファンの寄せ書きが一番、目を引く。 【全国ツアー完走!】再起に密着…!TKO 木本武宏&木下隆行の「素顔写真」 質素なこの事務所から、『TKO』の木本武宏(53)と木下隆行(52)は全国47都道府県に向けて飛び出した。 1年がかりのコントツアーのゴールとして設定したのが「キングオブコント」。ライブで磨き上げた新ネタを引っ提げての挑戦だったが、準々決勝で敗退。 それでも、二人の目は爛々としていた。 ◆「僕らは、幸せやな」 木本「ウケてたし、『いけた!』って思ってたんですよ。でも、結果を見ると、爆笑を取った組が綺麗に上から35組、準決勝に進んでた。順位で言うたら、そこに入れていないという現実。今の自分たちの位置が再確認できたのは収穫でした。今回、11年ぶりの出場やったんですけど、″コンテストに出る″っていう感覚を取り戻せたのも大きいですね」 木下は敗退がわかると号泣したという。 木下「TKOを応援している、というだけでイジられたり、叩かれたりしていた人もいると思うんですよ。そういう、僕たちを支えてくれたファンとかスタッフ、運営の方に申し訳なくて。ゴメンな、いい景色を見せたかったな……と思ったら涙を抑えられんかった。こんな感情は初めてでした。ただ、52とか53にもなって本気でコントをやって、本気で悔しがることができる芸人がどれだけおるやろうって考えたら、自分たちは幸せやな、と」 キングオブコントのファイナリストの常連だった頃のTKOを二人は、「何者にもなれていなかった」と表現した。 木本「当時、『TKOさん、もう出んといてくださいよ』みたいな空気があって、僕にも『もうエエかな』という気持ちがあった。優勝できずにいたのに、勝手に自分らを一段、高いところに置いていた」 木下「ドラマに出させてもろうて、舞台やらせてもろうて、バラエティにもちょこちょこ出てて……″それなりに出られているからエエか″って、本気でコントと向き合うことから逃げていた。胸張って『僕らは芸人です』と言えんところがあった。それがバレるのも、イジられるのもイヤやった。だから、守りに入ったんです。ドラマに出ることで、他の芸人さんと肩を並べている気になっていた。全然、攻めてなかった。ディフェンスしている時点で、芸人としての技量はドンドン落ちていく。そこに気がついているのに、気づいていないフリをしてた」 ◆使えなかった茶封筒 「ちょっとずつ、TKOが何者でもなくなっていく中で、起こるべくして不祥事が起きた」と木下は続けた。 ’19年に木下の″ペットボトル事件″、’22年に木本の″7億円投資トラブル″が発覚。活動を休止し、所属していた松竹芸能を退所することとなった。 事件発覚後、木本は自宅に引きこもった。シャワーも浴びず、ソファに座ったまま、「なんでこうなったんやろう」と何度も自問自答した。木本の自宅を訪ねた木下は、変貌ぶりに愕然としたという。 木下「電気もつけず、真っ暗な部屋でガリガリに痩せていて……僕が知ってる木本やなくて、怖かった。『コントやろうや』って、声をかけても『もうそんなモチベーションない』と。それでも、木本がおもろいモンに食いつくのは知っていたので、『じゃあ俺、ネタ書いとくで』と言って、その日は帰りました」 木本「芸人を続けるかどうかもわかれへん……という気持ちでしたから。暗闇の中にいて、何も考えられんかったんです。そしたら木下がね、茶封筒をポンと置いて帰った。中に現金が入ってました」 木下「僕は、立ち止まるんが怖かったんですよ。打席に立ってないと、緊張感も何もかも忘れてしまって、このまま消えてまうんちゃうかって。だからYouTubeも始めたし、SNSにオファーが来た営業も率先して引き受けた。″芸人ごっこ″の稼ぎが少しだけあったんです」 木本「その封筒が無地でペラペラの″大したもんちゃうから″って感じのもので、それがまた救いでした。木下だって余裕があるわけやないのに……おカネなんですけど、手紙のような感じがしました。いつか返したろうと思って、手をつけず、引き出しに大事にしまってあります」 ◆大きな一歩は「記者会見」 FRIDAYを含め、木本は記事が出るたびに落ち込んだ。事実無根の内容であっても、回答も反論もできない。するべきではないと思っていたし、関係者からもそうアドバイスされた。だが、各メディアで証言していた″元芸人″が偽者だと、勇気を出して回答したことで潮目が変わった。 木本は出版社やテレビ局に自ら電話し、記者と直接、話をした。回答し、反論することでネガティブな記事は激減した。復活に向けた大きな一歩となったのも、一般紙を含め多くのメディアが集まった’23年1月の記者会見だった。 木本「″聞かれたことは全部答える″と、それだけ決めて席につきました。そこから見えた光景が忘れられません。メディアの皆さんが全員″ゼロの顔″なんですよ。怒ってもない、笑顔でもない。″こいつが何を言うかフラットな状態で聞いてやろう″という顔。めっちゃ怖い。僕は″人間と喋ってるんや″と自分に言い聞かせて、全員の目を見て話しました。すると、情報が伝われば伝わるほどに表情が柔らかくなっていく。うんうんと頷いてくれる人が増えていくんですよ」 木下「グズグズの会見をする芸能人が多い中、胸を張って堂々としてた。木本が大きく見えた。次また『コントはできへん』と言われたらどうしようって、慎重に接していましたけど、あの姿を見て大丈夫やなって思えました」 木本「変な言い方ですけど、会見で喋っているうちにノってきたんですよ。もう一回、飯が食えるようになるかどうかはわからんけど、人前で喋るってこういうことやったなって思い出しながら、会見の途中でもう『僕の復活ライブの1発目がこの会見や』『元のポジションに戻るんやなくて、もう一度、松竹の養成所に入った頃から始めるんや』と決めていた」 会場には木下も呼んでいた。会見終わりに出てくるよう頼んでいた。 木本「会見の途中から感情がガーッと高まって、大親友の木下と養成所に入った頃の、二人で売れることばかり話していた日々をブワーッと思い出した。そしたら、扉の向こうで待っている木下に早く会いたい、顔が見たい、出てきてくれって想いが爆発した。養成所に入った頃って、木下に会うのが楽しみやったんです。だって、あの頃の僕たちは夢の話、将来の話、熱い話を同じ温度でしてたんですよ? あの気持ちでまた木下と喋りたい。僕の中でスイッチが入った瞬間でした」 もう迷いはなかった。 「芸人として、勝負する。コントで本気の勝負をする」 ◆高校生が見せてくれた景色 47都道府県を回ること、ゴールをキングオブコントにすることはすぐ決まった。 マネージャーは木本の妹。コンビのSNSで宣伝と告知をした。会場を押さえるのにも一苦労で、公民館やライブハウスでコントを披露した夜もあった。 木本「ライブハウスってコントをするための場所じゃないですから、舞台袖の黒幕なんてない。幕間に使うプロジェクター用のスクリーンも手作りでした。暗転した時に設置するんですけど、コードが抜けて真っ暗になったり……」 木下「僕ね、『頑張ってる』とか『努力』って言葉が大嫌いやったんですよ。″そんなの、俺に似合わんやろ″って。でも、そんなこと言うてられん状況になって、チケットも手売りしたんですけど……やってみるとね、応援してくれるファンが見えるようになった。目の前で高校生が財布から3500円を抜き出す姿を見て、″今月、この子は贅沢できんな″って思うわけです。これまで、チケットサイトの画面で数字が積み上がっていくところしか見てなかった僕らには、訴えかけてくるものがあった。しかも、その高校生が会場に来てくれてるのが舞台から見えて、帰りに会場のグッズ売り場で再会した時に『来てよかったです』なんて言うてくれた。情けない話、これまでファンと距離取ることがカッコエエと思ってました。ファンの顔を覚えて、本気でありがとうと思えて、ゴメンと思える。これは財産やなって思ってます。こんな眩しい景色、見れんほうがカッコ悪い」 木本「音楽が鳴って幕が上がると、僕らが白い衣装を着て、頭を下げているわけです。経緯が経緯やったんで。すると『待ってたぞ!』と大歓声。涙がブワーッて出てきて、すぐに顔を上げられない。込み上げるものをグッと抑え込んでから頭を上げるんですけど、そのタイミングが木下と一緒なんですよ(笑)」 「周るTKO」コントツアーは2周目に入ることが決まった。キングオブコントへの再挑戦も。木本がしみじみ言った。 木本「不祥事は絶対ダメですし、二度としないと誓っていますが、ドン底を見たからこそ、こんな自分がいたんや、こんな景色があるんやと気づくことができた。ドン底に、キラリと光る宝があった」 木下「キングオブコントは敗退しましたけど、負けたからこそ生まれたドラマもある。今回、『私もチャレンジします』『勇気をもらいました』というメッセージをたくさんもらいました。こんなこと、今までの僕らにはなかったですから」 自分たちは何者か。今のTKOは胸を張って言える。 『FRIDAY』2024年9月27日・10月4日合併号より
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