「自分の変わっているところも大事にしてほしい」『水槽世界』の著者が作品に込めた思いを語る
東京中野物語2022文学賞の最終選考作となった『水槽世界』が、株式会社飛鳥新社の新レーベルwith storiesの創刊ラインナップとして刊行されました。 本作の主人公は「人の心に棲みつく魚が見える」特殊能力を持った男子高校生・橘海人。魚を通して相手の気持ちや人となりがわかってしまうために対人関係が苦手だった海人は、ひょんなことから学校一のマドンナ・桜庭澄歌と交流を深めていきます。自分だけが持つ能力に悩みながらも、桜庭を守るために力を受け入れていく姿が描かれた青春ファンタジー・ラブストーリーです。 著者の文月蒼さんは本作がデビュー作。刊行に寄せ、作品が生まれたときのことをエッセイとしてご寄稿いただきました。 *** 『水槽世界』は設定が奇抜なせいか、思いついた時のことをよく訊かれます。 数年前の春、私は北海道内の長距離バスに揺られていました。実家に帰省して、いっぱい美味しいものを食べた帰り道でした。夜も遅く、バスの中は暖房が効いていたので、普通なら眠ってしまうところ。ですが、乗り物であれば何でも酔う私は、この時もばっちり酔っていました。具合の悪さからどうにか気を逸らそうと、窓に張りついて景色を眺めていました。 景色、とはいえ深夜。真っ暗です。等間隔に過ぎていく外灯以外に光るのは、鹿かたぬきの目ぐらいです。 やっと道のりの半分に差し掛かったところで、運転手さんは高速のパーキングエリアにバスを停めました。 ぞろぞろと他の乗客たちは、身体を伸ばしたり外の空気を吸うために車外へ出ていきました。 相変わらず、外は真っ暗です。頼りない数本の外灯が、辛うじてアスファルトを照らしているだけ。 『こんな暗がりの中、もしも怖い人がいたら危ないなぁ……一目で人の善悪の見分けがつけばいいのに』 この瞬間です。何の特別感もない、こんなタイミングで思いつきました。水族館にいたとか、海を眺めていたとか、お寿司を食べていたとか魚らしさは何もありません。 じゃあ、どこから魚が来たのか。 優しい人は心が澄んでいる→澄んだ場所には魚がやってくる→本人に似た魚が棲みつく こんな風に連想していきました。これを軸に、心が濁ると数が減るとか減った魚はもう戻らないとか、妄想を広げていきました。 以上が『水槽世界』の源です。たぶん、バスの中である必要はなかったです。 ただ、思いついた時に、色んな魚が車内を自由に泳ぎ回るのが一瞬だけ見えた気がしました。 物語にしよう。 自分の脳内を穏やかに泳ぐこの魚たちも、全部。 そう思って、帰ってすぐにパソコンを開きました。 表現するのに小説を選んだのは、消去法に近いかもしれません。昔から図工や美術、作文など何かを作り出すことが好きでした。暗記や計算は1つの答えを探すイメージですが、創作は自分なりの答えを作る自由さがあって面白かったからです。 中でも文章というのは毎日読んで、考えて、書いて、声に出して……と、絵を描いたり粘土を練ったりするよりもずっと身近にありました。 そして、こんなセリフを言わせてみようとか、この景色を文章化するならこんな言葉で、などといつでもどこでも小説の欠片が作れます。 更に、「やっぱ、やーめた」と一場面なかったことにするのだって数秒で簡単に出来ます。 一方、思い描いているものを言葉だけで伝えるのはとにかく難しいです。どこに着目して言葉にするかという選択もよく迷います。全く進んでいないのに、飲んでいた紅茶が空っぽになっていることが何度もありました。 ですが、今も含めて本当に文章を考えるのは楽しいなと思います。 道具や材料がほとんど必要ない、場所を選ばない、そして考えるのが楽しいもの。私の中に表現する術として残ったのが小説でした。 『水槽世界』はテーマの1つに「多様性」があります。 「人の心に棲みつく魚」が見えるという能力を持っている主人公は、その魚の種類や数によって相手の気持ちや人となりがわかってしまいます。能力について周囲の理解が得られないため、対人関係に苦手意識を持っていました。 しかし、仲間や守りたいものができたことで、自分や相手を受け入れて前に踏み出せるようになっていきます。 また、他の登場人物も自分にはない能力を持つ主人公を認め、受け入れていきます。 テーマに「多様性」を入れたのは、普通であることが窮屈だなと思ったからです。 「普通はこうでしょ」「常識的に」「変わってるよね」と、他の人を噂する声が、職場の休憩室やカフェの隣の席から聞こえてきます。 ルールやモラルは大切にしつつ、自分の好きなもの、自分の変わっているところも大事にしてほしい。周りに理解されなくても、自分らしさを捨てないでほしい。そんな想いを込めて、「多様性」を描きました。 少数派の思考や特徴を持つと、不安や疎外感がある人もいると思います。そんなオリジナリティがある方にも、この作品を通してちょっとでも前向きな気持ちを抱いてもらえたら、嬉しいです。 [レビュアー]文月蒼(作家) 1995年、北海道生まれ。「東京中野物語2022 文学賞」最終選考作品にノミネートされた本書がデビュー作。好きな魚はナポレオンフィッシュ。 協力:アップルシード・エージェンシー アップルシード・エージェンシー Book Bang編集部 新潮社
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