「寿人さんがいなかったら…」3度目優勝の夜、佐藤寿人の胸で青山敏弘は泣いた…「トシはチームのエンジンでした」いま、青山引退に佐藤が泣いた
稀代の名パッサー、青山敏弘。2024年限りで引退を決めた彼に、Number1111号で特別インタビューを行った。そこで青山が回想した「最高のパス」。今度は、その受け手だった佐藤寿人に、青山への思いを聞いた――。〈NumberWebインタビュー全2回の2回目/はじめから読む〉 【写真】「見ていると泣けて仕方ない」若き日の青山と佐藤の笑顔、勝利を抱き合い喜ぶ姿、そして引退セレモニーでの止まらぬ涙まですべて見る 熱い抱擁には、隠されたドラマがあった。 2015年12月5日、Jリーグチャンピオンシップ決勝第2戦。サンフレッチェ広島がガンバ大阪を振り切って2年ぶり3度目の優勝を決めた瞬間、途中交代でベンチに下がっていた佐藤寿人が勢いよく飛び出し、キャプテンマークを巻く青山敏弘に抱きついた。前キャプテンの胸で、現キャプテンが泣いた。
佐藤は青山にキャプテンを自ら委譲した
2024年シーズン限りで現役引退する青山との思い出を語る佐藤のインタビュー。キャプテンとしての苦労を誰よりも分かっていたから、佐藤は一直線にその人のもとに向かっていった。 2012、13年とリーグ2連覇を果たした後、佐藤は青山へのキャプテン委譲に自ら動いた。自分都合ではなく、あくまでクラブの将来を見据えてのものだった。 佐藤が語る。 「僕のなかでは13年の優勝にしても、チームの心臓として前と後ろをつなぐ部分を含めてトシが導いていました。2連覇したからではなく、サンフレッチェの未来をトシに託すべきタイミングなんじゃないかって。当然、ポイチさん(森保一監督)に相談しました。『いろいろ見て決めるよ』ということでしたけど、ポイチさんも同じ考えだったと思うんです」
すべてを抱え込んでしまった青山
佐藤の思いも反映され、2014年シーズンに新キャプテンが誕生する。しかし責任感の塊のような人は、重く受け止めて自分ですべてを抱え込むようになる。チームはなかなか勝ち点を伸ばせず、浮上していかない。かつ、青山はブラジルワールドカップから帰国後、腰を痛めて離脱してしまう。結局、J1は3連覇どころか8位にとどまり、決勝まで進んだヤマザキナビスコカップ(YBCルヴァンカップ)も準優勝に終わって青山は涙した。 佐藤はあえて前に出ていかなかった。我慢のときと捉えていた。 「チームのこともそうですけど、日本代表としてワールドカップへのメンバー争いもあって、トシが背負うものっていうのが一気に増えた。(ナビスコカップの)ファイナルで敗れたときの涙は責任感から出たものだと思います。 傍でトシが背負うものを見てきたつもりだし、何とか力にもなりたいという思いはありました。でもキャプテンじゃない自分が前に出ていってしまえばどうなるかとか、いろいろ考えました。やっぱりトシが先頭に立つという姿が必要なんだと思い、意図的に一歩引いて見るようにはしていました」
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