「アイドルを推すことは未来を信じることだ」ジャニーズ、宝塚といった伝統の崩壊…中森明夫がそれでもアイドル文化はなくならないという理由
推す力 人生をかけたアイドル論#2
「おたく」という言葉の名付け親として知られ、アイドル評論家として40年以上活動を続ける中森明夫さん。長年アイドルを応援してきた中森さんが“推し活”は未来への希望だと語る理由、そして今後の日本のアイドルの行方とは――。(前後編の後編) 【写真】肉体性を持たない新時代のアイドル
「時代時代によってアイドルの成立条件は違う」
――中森さんの新刊『推す力 人生をかけたアイドル論』の中では2020年に竹内結子さんが亡くなった際、喪失を覚えたとのエピソードも書かれています。 中森明夫(以下同) あんな亡くなり方をするとは思わなかったから、こういう文章を書くとも思ってませんでした。 1996年に電車の中吊りにあった大蔵省の広告で彼女を見つけてね。当時はインターネットもまだないから、大蔵省に直接電話して広告に出ている女の子が誰か問い合わせて。それが16歳の竹内結子で、そのあとに雑誌で取材することになったんだけど、その取材が彼女にとっては芸能界入りして初めてのインタビューで。 その後も僕のことを覚えてくれていてね。それがあの亡くなり方で。ショックでね。明るい笑顔の印象で、それまでネガティブな話が聞こえてくるとかなかったからね。心の準備ができてなかった。 ――1986年4月の岡田有希子さんの死についても触れています。 18歳でトップアイドルで、その年の1月に出した曲「くちびるNetwork」がオリコン1位になっている。それが所属事務所のサンミュージックの屋上から飛び降りる。社会的大事件で、忘れられない出来事ですね。 ――岡田さんの死の後にはあとを追って命を絶つファンが相次ぎました。80年代のアイドルの人気を私自身は体験していないのですが、現在より熱狂的に感じます。 80年代って独特のアイドルブームだったから。今はインターネットがあるけれど、当時はテレビしかなかった。故にアイドルの価値が高かったし、芸能マスコミもすごかった。あんなことは今はないじゃないですか。時代がバブルに向かう途中で、経済が発展してちょっとイケイケで、世の中が躁状態だったと思う。その最中の出来事ですよね。 ――今、芸能マスコミの力は弱まっています。 その代わりに、最近だと羽生結弦の件みたいに、インターネットで誹謗中傷やいろんなことを書かれて理不尽な事態に陥る。有名人ってたぶん、どの時代でもリスクはあると思うんですよね。プライバシーがいろんなところに晒されちゃうとか。 新刊で広末涼子について書いているけれど、早稲田大学に入学した際、吉永小百合の時代だったらみんな遠巻きで見守っていたのに、広末涼子の時代になるとワッと学生に群がられてパニック状態。まともに大学へも通えない。写真誌に芸能レポーターもいて、もう吉永小百合のように清純なアイドルの幻想を保つのも難しかった。 アイドルについて虚構という言い方をしたけれど、やっぱり生身の人間。それをアイドルとして捉えて、楽しむ。だから時代時代によってアイドルの成立条件は違うんです。