巨人元オーナー「球界のドン」渡辺恒雄さん死去、98歳 長嶋茂雄氏悲痛「巨人が勝ったときの笑顔しか浮かんできません」
読売新聞グループ本社代表取締役主筆で、プロ野球巨人のオーナーを務めた渡辺恒雄(わたなべ・つねお)さんが19日午前2時、肺炎のため東京都内の病院で死去した。98歳。葬儀は近親者のみで行う。喪主は長男、睦(むつみ)さん。後日、お別れの会を開く。「ナベツネ」「球界のドン」などと呼ばれ、大きな影響力を誇った名物オーナー。巨人の長嶋茂雄終身名誉監督(88)は「たくさんの思い出があります」と追悼した。 オーナーを務めた巨人だけでなく、渡辺さんのプロ野球界への影響力は絶大だった。読売新聞社副社長時代の1989年、球団内に組織された最高経営会議のメンバーとなり、巨人の経営に参画。徐々に球界内における発言力を増し、ドラフト改革やコミッショナー人事にも影響を及ぼすようになった。 90年代に入ると観客動員やテレビの視聴率が頭打ちとなり、プロ野球人気の低下が懸念された。93年に日本初のプロサッカーリーグ、Jリーグが誕生することになり、渡辺さんは人気回復の〝切り札〟として92年秋、三顧の礼をもって長嶋茂雄氏の巨人監督復帰を実現させた。長嶋監督も期待に応え、94年にリーグ優勝を決めた中日との同率最終戦対決「10・8」の視聴率48・8%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)は、現在もプロ野球中継の歴代最高視聴率となっている。 96年12月には正力亨オーナーの後を受けて、オーナーに就任。98年に前立腺がんが見つかり、前立腺の全摘手術を受けたが、復帰後も本業ではない球界への情熱が衰えることはなかった。 巨人は2000年、4年ぶりにリーグ制覇した。優勝を決めた中日戦は、九回に江藤智の同点満塁弾に続いて二岡智宏がサヨナラ弾という劇的な幕切れ。東京ドームで観戦していた渡辺さんはオーナーとしての初優勝に涙を流し、「一生に1度か2度だけだろう。男が泣くチャンスは…」と感激屋の一面をみせた。 長嶋氏への信頼は厚く、01年に監督を勇退するまで揺らぐことはなかった。現終身名誉監督の長嶋氏は「突然の訃報でした。しばらくは、何が起こったのか頭は白紙の状態でした。古く長いお付き合いで、巨人を離れても沢山の思い出があります。今、何を話せばよいのか。巨人が勝ったときの渡辺さんの笑顔しか浮かんできません」と故人をしのんだ。 渡辺さんの発言は、ときに物議をかもした。04年に起きたオリックスと近鉄の球団合併による球界再編騒動の際は、西武・堤義明オーナー(当時)とともに8~10球団による1リーグ制構想を展開。球団合併に反対する日本プロ野球選手会の古田敦也会長(当時)が各球団のオーナーとの会談を望んでいると伝え聞くと、「無礼なことを言うな。分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が」と突き放し、世間の反発を招いた。