魔球ナックルの使い手「フィル・二ークロ」 “48歳まで現役”をかなえた理由(小林信也)
日本で「魔球」といえばフォークボールの印象が強い。それは本格的なナックルボーラーがいないからだと思う。ナックルだけで通算318勝も挙げたフィル・ニークロのような使い手が日本にも出現したら魔球の人気図は一変するだろう。
1939年にオハイオ州で生まれたフィルは、19歳でミルウォーキー・ブレーブスと契約。スカウトの目に留まったのは、球速でも正確無比の制球力でもなかった。10代にしてフィルはナックルボール専門の投手だった。マイナーリーグで過ごした6年の間も、他の若手投手が鬼の形相で取り組むようなハード・トレーニングは必要なかった。日々磨き続けたのはもっぱらナックルボールをどうやって風に乗せるか、そして極端な変化を間違いなく起こせるか、その精度を高めることだった。フィルはただひょうひょうと、白球を人差し指と中指の2本指ではじき続けた。 ナックルの秘密は無回転にある。サッカーのシュートと同じく、回転のないボールは突然予測不能な変化を見せる。しかもありえないほどの大きさで。打者にすれば、捕まえようとした魚が急に沈んだり左右に瞬間移動したりして逃げられるようにバットが空を切る。 ナックルがエアポケットを生み出し奔放な軌道にはまるときの捉えにくさは、捕手の動きでよく分かる。まともにミットに収められないばかりか、地面に這いつくばって押さえたり、背中を見せるほど上体をひねって飛びつくことも珍しくない。 フィルがナックルに魅せられたのは父の影響だ。父はセミプロ・リーグのエース投手で、ナックルボーラーだった。フィルにとって父は、不思議な変化球で次々に打者を打ち取る英雄だった。少年時代、父はフィルと弟ジョーを相手にキャッチボールをしながらナックルボールを教えてくれた。フィルは父に倣って目の色を変えてナックルばかり投げ続けた。弟はそれほど興味を示さず、速球とスライダーで勝負する本格派の投手に成長した。 だが実は、兄と対照的に順調なMLBデビューを果たしたジョーが数年で壁にぶつかり、ケガもあって投手生命の危機に直面した時、救ってくれたのはナックルだった。その時になってジョーはナックルに活路を見いだし、フィルに教えを請うて変身する。結果ジョーも43歳までマウンドに上がり、通算221勝を挙げた。