名物野菜の縁を伝える野沢菜伝来記念碑 大阪・四天王寺に建立
名物野菜の縁を伝える野沢菜伝来記念碑 大阪・四天王寺に建立 撮影:岡村雅之 編集:柳曽文隆 THEPAGE大阪
漬物でおなじみの野沢菜の起源が大阪の伝統野菜天王寺蕪であることを伝える野沢菜伝来記念碑がこのほど、大阪市天王寺区の四天王寺に建立され、除幕式が行われた。天王寺蕪と野沢菜。産地の異なる野菜が仲良く顕彰される記念碑は、全国的にも珍しい。時空を超えてよみがえる名物野菜たちの物語とは──。 【360度画像付き】なんば駅前に楽しい空間出現? ひろば改造計画で社会実験
天王寺蕪の種が信州に運ばれ野沢菜に
記念碑は長野県野沢温泉村が建立。同村と大阪市の関係者によって除幕され、お披露目された。除幕式では記念碑の左右に収穫された天王寺蕪と野沢菜が供えられた。除幕式に続き、森田俊朗管長率いる僧侶団によって建立落慶法要が営まれた。 産地はもとより、外見や味わいも違う天王寺蕪と野沢菜。どんなつながりがあるのだろうか。野沢菜の来歴は260年前までさかのぼることができる。 江戸中期の宝暦6年(1756)、野沢村の住職が修行先の大坂で天王寺蕪の美味しさに感動。種を持ち寄って寺の畑で栽培したのが、野沢菜の起源とされている。ご当地は高冷地だったため、カブの部分が大きくならない半面、葉や茎が立派に育って現在の野沢菜が生まれたという。 野沢菜の漬物はパリッとした食感が好まれ、全国的な知名度を誇って久しい。四天王寺周辺で栽培されてきた天王寺蕪は一時衰退したものの、市民グループ天王寺蕪の会などのの尽力で復活。大阪の伝統野菜として再注目を浴びつつある。 2009年ごろから野沢温泉村と天王寺蕪の会が連携し、種が伝わった足跡を歩いて辿るイベントなどが展開され、記念碑建立に至った。
大阪在住記者はナマ野沢菜の大きさにびっくり
野沢温泉村の富井俊雄村長は「7年間に多くの出会いがあった。100年後、200年後も、記念碑がきょうまでの出来事を伝えてくれるだろうと夢見ている」と、叙情的な表現で将来を見据えた。 直木賞作家で天王寺蕪の会の会長を務める難波利三さんも、「ザ・ページ大阪」の取材に応じ、「記念碑が機縁となって、大阪と長野の交流が深まるといいですね」と語った。難波さん自身、長野のホテルでカンヅメになって執筆した作品「てんのじ村」で直木賞を受賞するなど、天王寺とも長野とも縁が深い。 漬物の野沢菜しか知らない大阪在住の筆者は、境内で初めて見たナマ野沢菜の大きさにびっくり。葉と茎の勢いがすごい。富井村長に率直な感想をぶつけると、「私も天王寺蕪のカブの見事さに驚きました」と、笑顔で明かす。百聞は一見にしかず。富井村長は「大阪の皆さんも野沢温泉村に足を運んでいただき、本物の野沢菜にふれてください」と呼びかけていた。 天王寺蕪と野沢菜。産地の異なる名物野菜が仲良く顕彰される記念碑は、全国的にも珍しい。500キロもの距離を結んで生まれた不思議な縁に、歴史の奥行きの深さを感じる。詳しくは大阪市天王寺区役所の公式サイトで。 (文責・岡村雅之/関西ライター名鑑)