「男色」が広まったのは戦場からではない?今日的な同性愛とは異なる、戦国時代の男色にありがちな誤解
(歴史家:乃至政彦) ■ 男色に関する誤解 戦国時代の男色(『日葡辞書』に「Nanxocu.ナンショク(男色) 悪い,口にすべからざる罪悪.」とあるように、「なんしょく」が正しい発音。「だんしょく」とは読まない)については、今も多くの誤解がまかり通っている。この時代の武士は、男色が当たり前だったというのは、ある意味では正しいが、ある意味では間違っている。 男色を好きな武士はたくさんいたのは事実だが、有名な「カップリング」はごく一部を除いて、ほとんどどれも事実ではない。 少なくとも、武田信玄と春日虎綱(高坂昌信)、上杉謙信と樋口与六(直江兼続)、織田信長と森成利(森蘭丸)の関係は、史料の誤読、または江戸時代や昭和の創作によって広まったものである。 基本的に男色は一過性の「忍ぶ恋」であり、大っぴらにするものではなかった。だから、有名な関係にはなりにくい。 このほか一般的な男色イメージと、事実との相違点を3点ほど述べていこう。
■ (1)男色は今日的な同性愛とは異なる 北野武監督の映画作品『首』では、中年男性が中年男性の胸を舐めるようなシーンが印象的に描かれていて、「これでは『首』じゃなく『乳首』だ」という感想を漏らす友人もいた。これを見て戦国時代の男色をそのまま再現していると思った観客は少なくなさそうだ。 しかし、当時の男色は、「未成年男性への性愛」であって、成人した「男同士の自由恋愛」ではなかった。だから、中年男性同士が性的に交わる例は史料に例が認められていない。少なくとも「あって当たり前」なものではなかったのである。 もちろん当時に今風の同性愛もあっただろうが、史料から探れる範囲では表立ってそのような関係は結ばれていない。タブーではなかったと思うが、他人に公表する理由がなく、社会的にも取り上げる必要がないと思われていたのか、そうした記録は残っていないのである。 武士の男色に思いを馳せる場合、ここを前提としておく必要があるだろう。