天皇家につかえた女官が、「皇太子時代の大正天皇」にされて”困ってしまったこと”
天皇との微妙な距離感
あとつぎについての議論などから皇室への関心が高まる昨今。 皇室に「仕える」人たちがどのような働き方をしてきたのかを知っておくことにも、意味があるかもしれません。彼らの働き方、楽しみ、悩み、悲しみなどを知ることは、ひいては皇室という制度について知ることにつながるからです。 【写真】女官の「きらびやかな姿」と、大正天皇の軍服姿 そうした「皇室に仕える人たち」について知るのに大いに参考になるのが、山川三千子『女官 明治宮中出仕の記』という書籍です。 著者の山川(旧姓:久世)三千子は、1909(明治42)年に宮中に出仕し、明治天皇の妻である皇后美子(はるこ=昭憲皇太后、1849~1914)に仕えました。いわゆる「皇后宮職」の女官です(正式な役職名は、権掌侍御雇〔ごんしょうじおやとい〕)。 ここでは、同書で紹介されている山川の「悩み」についてみていきます。 山川の場合、大正天皇との微妙な距離感について、困惑することが少なくなかったようです。彼女は以下のように当時のことを回顧しています(読みやすいよう改行の位置をあらためています)。 〈いつも皇太子様(大正天皇)ご参内の時には、年若の女官は別の御用の方に周り、年配の人たちがおもてなし申上げるのですが、ある時ちょうど私が詰所におりますと、皇后宮様のご機嫌伺いに、お通りかかりになった殿下が、御自分の持っておいでになった火のついた葉巻煙草を、私の前にお出しになって、「退出するまでお前が持っていておくれ」との仰せ〉 〈他に年配の人もたくさん居るのに、誰とも何とも申し上げてはくれませんから、止むを得ず、「はい」と、お受けはしましたものの、なみいる人たちからは冷い視線をあびせられて、身のすくむ思い、紫になびく煙をうらめしく眺めておりました。 何でもないようなことでさえ、とかく男の人が相手となると誠にうるさい世界なのですが、それが殿下とあって見れば、知らん顔でそっぽを向いているわけにもいかず、何ともお答えも申し上げねばならぬ次第でございます〉 ほかにもたくさん侍従がいるにもかかわらず、皇太子(大正天皇)がわざわざ自分にタバコを渡してくることに、山川が困惑しているさまが目に浮かぶようです。