さすがにヤンチャすぎ!? ジャン・アレジが語る、フェラーリ時代の“イタズラ回顧録”。仲良しチームメイトのベルガーと上司の車で大珍走
ジャン・アレジとゲルハルト・ベルガーは、1993年から1995年にかけてフェラーリで、1996年から1997年にかけてベネトンでチームメイトとなり、計5シーズン、77レースにおいて同じチームでF1を戦った。そのため彼らは様々な興味深い思い出を共有している。 【ギャラリー】”爆発”する個性……史上最もワイルドなデザインのF1マシントップ50 ふたりのキャリアは、1993年にベルガーがマクラーレンから古巣のフェラーリに移籍したことで交わった。アレジは、当時既にF1で8勝を記録していたベルガーの加入を脅威だと捉えていたという。 アレジは当時のことを次のように振り返る。 「最悪のシーズンを送った1992年はひどく落ち込んでいた。でもチームの士気を落とさないように、僕はいつも通り最大限のことをやっていた。ゲルハルトが1993年に契約した時、彼はドクター……つまりチームを立て直すための経験豊富なドライバーとしてチームにやってきた。これは僕にとって腹立たしいことだった」 「ガゼッタ・デロ・スポルトに彼のナンバーワンドライバーとしての契約の詳細が書かれていたから、僕はニキ(ラウダ)に文句を言った。すると彼はこう言ったんだ。『ジャン、心配するな。もっと金をくれと言えばいいじゃないか!』と」 「それに対して僕は言った。『ニキ、金なんてどうでもいい。僕はチーム内で彼と同じポジションと地位が欲しいだけなんだ』と。そうすると彼はルカ・ディ・モンテゼモーロ(当時のフェラーリ社長)と話をしてくれて、次の日には1992年のF1マシンを僕にプレゼントしてくれるよう手配してくれたって言うんだ! いやいやニキ、それは僕が頼んだことじゃないよ、って感じだったけど……最終的にはうまくいったよ」 「そうして僕たち(アレジとベルガー)は一緒に働き始めたけど、ゲルハルトはとてもフェアでまっすぐな人だったので良かった。もちろん彼は優秀な選手だったし、彼としても“ナンバーワン”というステータスがあまり意味がないことも理解していた。だから彼はチームのところへ行って追加のテストを要求したりはしなかった。僕たちは平等に扱われたんだ」 それから1995年までフェラーリに所属したふたりは、ミハエル・シューマッハーと2対1でトレードされるような格好でベネトンに移籍した。アレジは1995年のカナダGPで優勝。ベルガーは1994年のドイツGPを制しただけでなく、ベネトン移籍後も1997年のドイツGPで勝利を飾っている。 ベルガーはイタズラ好きとしても知られていたが、アレジはコンビ1年目でそれを嫌というほど実感させられることになる。フィオラノのテストコースにいたある日の出来事を、アレジは次のように語った。 「僕たち友人の間では有名な話なんだけど、これにはゲルハルトと僕、それぞれの言い分がある」 「僕の方は単純だ。フィオラノでは午前中にゲルハルトがテストをしていて、僕はコースに行くまでの間、ファクトリーのオフィスで待っていた。ただその時、彼らはギヤボックスか何かを交換しなくちゃいけなくなったんだ」 「そして彼がファクトリーに来て、僕を見つけて『ジャン、僕は何件か電話をしないといけないんだけど、後でフィオラノまで連れて行ってくれないか』と言うんだ。僕はOKしたけど、ファクトリーには車がないことに気付いた。そんな時に見つけたのが、ジャン・トッド(チーム監督)が持っている(ランチア)イプシロン10だった。これは色も内装も特別仕様のもので、彼が長い間待ちわびてやっと手にしたものだった。僕はそれに乗ることにした」 「ゲルハルトはそれに乗り込むと(助手席の)シートを一番後ろまで引き、シートベルトをして、『好きなだけプッシュしていいよ』と言った。『僕にそんなこと言っちゃっていいの?』と思ったよ(笑)。そこからの僕はクレイジーで、ファクトリーを出て、フィノラノに向かう道に入った。そしたら僕がカーブを曲がるたびに、彼はハンドブレーキを引いてくるんだ! だから車は2輪走行、3輪走行になっちゃって、『ゲルハルト、ストップストップ!』と言ったけど、彼は構わず続けたんだ」 「そしてフィノラノに辿り着く最後のカーブで、僕はブレーキを踏んで彼はサイドブレーキを引いた。そしたら車は……あんなこと二度とできないと思うけど、横に滑るんじゃなくてノーズが持ち上がる形になって逆さまになってしまったんだ!」 「僕は幸い大きな怪我はなかったけど、シートベルトをしていなかったから、膝から崩れるような格好になっていた。(シートベルトをしていて)身体が上下逆さまのゲルハルトは僕を見て大笑いしていたよ。『これジャン・トッドの車だよ!(笑)』ってね」 「僕たちは後ろから外に脱出しないといけなかった。メカニックが駆け寄ってきてトランクを開けてくれて、僕たちは出ることができた。彼らは『君たち正気か?』と言っていたよ」 「ゲルハルトの方はシートベルトをしていたので無事だったけど、僕は頭から少し出血していて、フィオラノにあった小さな救急車に乗せられた。メカニックは車を元に戻して、カバーをかけた」 「そして彼らが車を端に避けたまさにその瞬間、ジャン・トッドとジョン・バーナード、ルカ・ディ・モンテゼモーロの御一行がサーキットに到着した。彼らは事故のことを何も知らなかったし、何も見ていなかった」 「ゲルハルトはF1マシンの方へ走っていき、ヘルメットを被った。そしてマシンを始動させ、僕が救急車から見ている間にコースへと消えていった。窓から見えたのは、ジャン・トッドがタイムを見ていて、ゲルハルトがピットに戻ってくるところだった」 「ジャン・トッドはゲルハルトのところへ行って、何かを話していた。内容は聞こえなかったけど、後々聞いた話によると、彼は『ジャン(アレジ)と話したか? 彼は事故にあったらしいぞ!』と言っていたらしい。結局彼らはファクトリーに戻ってから事の顛末を知った。彼らは相当怒っていたよ!」 ちなみに、ベルガーの方の言い分を記しておくと、彼らは車に乗っている時点では誰のものを運転しているかは知らなかったとのことで、「ジャンが馬鹿みたいな運転をしていたから、僕はシートベルトをつけて『OK、好きにしろ』と言った。そこからハンドブレーキをイジり始めたんだ」とのことだ。
Charles Bradley
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