囲碁と野球と電車が頭の9割、愛されるトップ棋士 ~結城聡九段~
人は追い詰められると、焦ったり、判断を誤ったりすることが多い。しかし囲碁の世界には、追い詰められるほどに判断力が鋭くなり、勝利を手にしている棋士がいる。囲碁棋士、結城聡(ゆうき・さとし)九段がその人だ。 中学時代から30年間ほぼ変わらないという坊主頭の髪型、180センチを超える長身。一見すると怖そうな人にも見えるが、そんな外見とは対照的に、鉄道を愛し、マイ時刻表を作る“時刻表鉄”でもある。さらに関西人らしく、阪神とオリックスの試合結果に一喜一憂し、カラオケでは工藤静香を歌う、愛されキャラだ。そんな結城九段の知られざる一面に迫った。
気が付いたらプロになっていた
「父の公式発表によると、囲碁を始めたのは8歳の誕生日。ただそのときに7級くらいの実力があったので、父が並べているのを見たりして覚えていたのでしょうね」と語る。 家の近くに碁会所がオープンしたことも後押しとなり、すぐに囲碁に夢中になった。本来は友達と遊びたい盛りのはずの小学生。あまりに囲碁ばかりやっているので、担任の先生が心配して、もっと友達と遊ぶようにと言ってきたこともあった。 結城の才能はすぐに開花し、プロを目指すため院生に。そして本人が意識しないまま“気が付いたらプロになっていた”という。 「周りに薦められて院生になったのですが、自分では楽しく碁を打っているだけで、プレッシャーも特にありませんでした。入段リーグで、勝ったほうがプロになれる、という場面でも全く緊張しませんでしたね」 関西棋院(※1)では最年少の12歳1ヶ月でプロ棋士に。多くの棋士は、入段試験を突破したときのことや、その対局についての思いが強くあるが、結城は入段のハードルを軽々と越えてしまった。そのため二段に昇段したときのほうが強く印象に残っているという。
追い込まれるほど判断力が冴える
独特の戦闘派の棋風(※2)で知られる結城は、15歳で非公式戦ながら初優勝、その後も着実に実績を重ねた。当時を振り返って“柔軟性がゼロ”だったと語る若い頃は、自分が信じた手を、道を、とにかく真っ直ぐに突き進む子供だった。そんな結城少年に、当時のトップ棋士・藤沢秀行が「お前はそのままでいいんだよ」と言ってくれたことが、何よりの自信になったという。 そんな結城が苦しんだのが18歳の頃。棋士が目標とする1つに「リーグ入り」というのがある。大きな棋戦のリーグ戦に入ることだ。リーグ入りの決勝に3年連続進んだものの、すべて破れた。どうしたらリーグに入れるのか、試行錯誤したものの、一生懸命勉強する以外に考えが至らなかった。そして4年目の決勝でやっとリーグ入りを勝ち取った。 その後は、天元や十段のタイトル獲得。テレビ棋戦のNHK杯で5回優勝するなど、素晴らしい実績を残し、現在もトッププロとして活躍している。 結城の強さの特徴に「早碁に強い」というのがある。早碁とは、持ち時間が少ない対局のこと。囲碁には、最長で1人8時間の持ち時間がある対局から、10分しかない対局まで、幅広い種類の試合があるが、結城は追い込まれれば追い込まれるほど、判断力が研ぎ澄まされるタイプなのだ。 「若い頃から、早碁の成績は良かったですね。僕は本来、結構着手で悩んでしまうタイプなのですが、早碁だと候補手を捨てざるを得ない。最初に浮かんだ手や、ある程度感覚的に信じられる手を打ち進めるしかなくて、それが良い結果につながっているようです。本当は3時間の対局でも、最初から秒読みをしてほしいくらいなんです。追い込まれれば、早くいらない手が捨てられそうで(笑)」