「今日でやめます」突然の引退表明に“大混乱” 阪神監督の一言で…プツリと切れた気持ち
ラストアーチは引退前年…因縁の広島・北別府から打った
田尾氏は1991年のラストシーズンで本塁打0だったため、1990年9月1日の広島戦(広島)で放った11号が現役ラストアーチになった。打った相手は広島・北別府学投手だった。「因縁の相手から打っていたんですねぇ。もしかしたら、僕が(広島に)行っていたかもしれなかったわけですからね」。当時はそれがラスト本塁打になるとは思うわけがないため、何の意識もしていなかったが、振り返って記録を知れば、それもまた感慨深いものになる。 抽選で選択順を決定していた1975年ドラフト会議で、田尾氏は9番クジの中日に1位指名された。獲得に最も熱心だった広島は、その次の10番クジだったため、田尾氏を指名できず、のちに通算213勝の大エースとなる都城農の北別府投手を1位指名した。そういう関係の相手からラストの通算149号目を打ったわけだ。 16年間の現役生活。「まぁ、いろいろあったんでねぇ……。1球団にいれば、もうちょっとやれたかなと思いますけど、それを差し引いても、いろいろ勉強させてもらった。僕はプロに入る時、35歳まではやらないといけないと自分の中では決めていた。35歳を超えてやれたら、よく頑張ったって思ってあげようとね。まぁ、37、38になる年まで現役をやれたから、そこはよくやったんじゃないかと思っています」。 悔いはないという。「いろんな経験を積むというのは、どんな経験をするにしてもマイナスではないと思っているんでね。それをどう受け止めて、生かしていくかということですから。あそこはちょっといきすぎたな、やりすぎたなということはあったんですけど、それはそれで前向きに考えていくということであれば、もう特に悔いはないです」。バットをくるくる回して構える“円月打法”の安打製造機は、プロ野球界で間違いなく一時代を築いた。
山口真司 / Shinji Yamaguchi