X1100万回超閲覧 人はなぜ『孤独のグルメ』を見ながら一人ご飯をするのか 追体験で得られる肯定感と活力
■なぜ、“一人ご飯”に『孤独のグルメ』は“ちょうどいい”のか
そんな大ヒットグルメドラマ『孤独のグルメ』を見ながらの家での食事――そうした“一人ご飯”をする人は少なくないようで、SNS上にも多数その報告はヒットする。人はなぜ、一人でご飯を食べるときに『孤独のグルメ』を見てしまうのか――その心理を、元テレビ朝日プロデューサーの鎮目博道氏に語ってもらった。 鎮目氏はまず『孤独のグルメ』に、「グルメを扱う番組やドラマにありがちな、過剰な情報がない」ことに着目する。 「グルメ・料理をテーマにするものは、情報番組にしろドラマにしろ、出演者の大仰な”おいしい~”といった表情のアップを捉えつつ、レシピやお店に焦点を当てがちです。さらにはその周辺の人々のストーリーや人間関係を掘り下げて、ドラマ性をもたせていく。 一方で『孤独のグルメ』はものすごいドラマ性があるわけでもなく、お店の情報やメニューのうんちくがやたら語られることもない。ドラマにはお店の人や他のお客さんも出てきますが、わざとらしいやり取りもありません。 ただただ五郎さんがお店を探すところから、何を頼もうかな、どういう順番で食べようかな、という“実況”なんですよね。この過剰な情報の押しつけがない点は、“一人で食事という何も考えたくない時”にちょうどいい。淡々と見ていられるポイントです」(鎮目氏) 一方、『孤独のグルメ』では店探しから食事を楽しむまでのあいだ、五郎の思考や感情の移ろいは事細かに言葉にされてゆく。 「終始、五郎さんの視点、五郎さんのペースで、独り言として経過が実況されることで、視聴者はいつの間にか五郎さんの世界に没入できる。五郎さんの食べているお店で、まるで自分も一緒に食べているかのような追体験ができるようなつくりになっています」(前同)
■視聴者にもたらされる「肯定感」と「活力」
店やメニューのチョイスも絶妙だという。 「仮に五郎さんが食べるものが超高級だと非日常感が漂ってしまい、視聴者は自分ごとにできず、“俯瞰”で見ることになってしまいます。ですが、『孤独のグルメ』は安さを追求しているわけでもない。ちゃんと美味しくて庶民が一人でも行けそうなお店選びも、視聴者が等身大で入り込めるポイントだと思います」(前出の鎮目氏) ドラマに出てくる店は、すべて実在する。ただし登場する店主や客はほとんどが俳優だ。リアルとドラマが交錯する世界で、視聴者には「安心」が約束されるという。 「五郎さんは“おいしい”を超えて“幸せ”そうにご飯を食べるんですよね。一人で肩ひじを張るわけでもなく、わびしいわけでもなく、自分は自分、とちゃんと楽しんでいる様がある。しかも食べ終えて、店を出る時には毎回元気になるのがお決まりの流れで、視聴者を裏切ることはありません」(前同) 食を堪能する五郎と一体となった視聴者が受け取るのは、頑張っている自分へのご褒美と、自分らしくいればいいという肯定感。最終的には“また頑張ろう”という前向きな気持ちももたらしてくれる。 “一人ご飯”における同ドラマの位置付けについて、鎮目氏は「『孤独のグルメ』という番組そのものが、栄養をくれる“おかず”として成立するのだと思います」と評する。 Season5・第7話で五郎はジンギスカンに舌鼓を打った後、店を背にしながら「食いたいものを食いたいように食いたいだけ食うこと以上に、元気が出ることはない」と心でつぶやいた。五郎の信条が象徴される言葉といえそうだが、その姿は同時に、視聴者のエネルギー源にもなっているようだ。
ピンズバNEWS編集部