編集者・岡本仁の旅先コーヒー案内。【盛岡編】
盛岡といえば、アメリカ発の大手コーヒーチェーンが町の中心部から撤退したという話が、まず頭に浮かぶ。それを誰から聞いたのだったかは憶えていないが、個人経営のコーヒー店がたくさんあって、住人みなが、それぞれ自分のお気に入りを持っている町なのだと思う。 盛岡は筋金入りのコーヒー好きの町だ。
紺屋町番屋
盛岡市紺屋町 盛岡市内を流れる中津川は、季節になると鮭が遡上してくる。その川にかかる与の字橋を渡ると、ぼくは川沿いの道に降りていく。『くふや』という店で昼ごはんを食べてから、『BOOKNERD』という書店に向かう。そこで何かめぼしい本を見つけたら、それを持ってどこかへコーヒーを飲みに行く。それが盛岡のルーティーンだ。
ぼくがこの町でいちばん好きな店は『六分儀』だった。ご夫婦(だと思うお二人)が営んでいた。店の広さもちょうどいい。古びかたも美しい。そしていつもシャンソンが流れている。それもレコードだ。レコードだから片面が終わってから、それが裏返されるまで、ちょっとの無音の時間ができる。それも、自分が店に入ってどのくらい時間が経ったのかがわかって、とても好ましかった。 喫茶店とBGMについて考える時、若い頃は自分の興味のある音楽、聴きたくてしかたがない音楽をかけてくれる店が好きだった。でも、その店の店主なりスタッフなりが、その音楽に深い愛情を持っている店だけではなくなった時、どこに行っても趣味のいい同じ音楽がかかっているという状態になり、それだったら無音とかラジオが流れている店のほうが落ち着くと思うようになった。 シャンソンのことはよく知らないから、安心して聞き流していられる。聞き流すとは失礼ではないかと、シャンソンファンに怒られるかもしれない。でも安心してと言うのは、集中して聴こうとしていない時に、邪魔にはならない良い音楽であることを意味しているつもりだ。とにかく、『六分儀』にシャンソンはとても良く合っていた。 その『六分儀』が閉店してしまい、その後に『羅針盤』という店ができた。好きな店が別の店になるのは悲しいことだから、中に入ることはないだろうと思っていた。ところが、久しぶりに盛岡まで出かける用事があって、『六分儀』あらため『羅針盤』の前を通りがかったら、少なくとも外観は以前とほぼ変わっていない。だから、コーヒーを飲んでみようという気分になった。ドアを開ける。内装もほぼ同じで、何よりも店内に低く流れている音楽がシャンソンだった。レコードジャケットが飾られている。イヴ・モンタンの『AMI LOINTAIN(はるかなる友)』。嬉しくて、つい店の女性に、「変わらずシャンソンがレコードで流れていて素晴らしいです」と言ったら、このレコードは『六分儀』のオーナーのコレクションで、それをそのまま借りているとの話だった。ぼくが『六分儀』でいちばん気に入っていたことを、大切なことのひとつとして受け継いでくれている新しい店。もしかしたら、細かな部分は以前とは違っていたのかもしれない。でも、この店に流れる音楽が同じだったから、ぼくは以前と同じ気持ちでコーヒーを飲むことができた。