大火で大儲け、台風で大損 「100人に1人」の相持つ「横浜の父」 高島嘉右衛門(上)
「横浜の父」とも称される高島嘉右衛門(たかしま・かえもん)。横浜みなとみらい地区にある地名や駅名はその名残です。事業家として、この地で鉄道用地の埋め立てや日本初のガス灯の設置などを手がけ、横浜の発展に寄与しました。高島にはそれだけではなく、安政の大地震のときに木材で巨利を得た投機師としての顔、そして日清・日露戦争の開戦を言い当てたという易者としての顔もあります。 5歳で「四書五経」を読み始めたという幼年期から、「火」と「水」で伝説的な大儲けと大損を経験するまでを市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。 3回連載「投資家の美学」高島嘉右衛門編の1回目です。
5歳から「四書五経」を読み始める
「豪商にして易理を考え、投機師にして哲理を論じ、実業家にして孔孟の教えを学び、というような人物は、数多い紳商(品格のある大商人)の中でも、この高島呑象(どんしょう)の外にはあるまい」―― 明治時代の豪商たちの足跡を検証した岩崎錦城はその著「現代富豪奮闘録」の中で、高島嘉右衛門をこう評した。 高島嘉右衛門の父、遠州屋こと高島嘉兵衛は東北の南部藩や佐賀の鍋島藩に出入りする御用商人であったが、義侠心は人一倍強かった。南部藩が大飢饉に見舞われた時、佐賀へ出掛けて3万石の米を買い付け、船で盛岡まで送ったことがあるが、三井、岩崎(三菱)でもできない快挙と称えられたものである。 嘉右衛門は生まれながらに病弱で、心配した父親は当代切っての高名占い師、水野南北を呼び、まだ2歳にもならない嘉右衛門の人相を見てもらった。この時、南北は100人に1人の「九天九地」の相に絶句したと伝えられる。 天に昇れば神仏となり、地に堕(お)ちれば悪魔にもなりかねない両極端で数奇な運勢を背負ってこの世に現れたわけである。俗に「易聖」と呼ばれる嘉右衛門の易との最初の出会いであった。 5歳のころから難解で知られる「四書五経」(大学・中庸・論語・孟子と易経・詩経・書経・春秋・礼記)を読み始め、14歳で残らず読み終えたという。そのころ嘉右衛門は父の命で藩の建築工事を任され、450両もの大金をもうけた。 これが初陣で以後、豪商への道をひたすら歩むが、両極端の運勢を持つ嘉右衛門は成功と挫折を幾度となく繰り返す。