【障がい児を育てながら働く⑨】父親を「認知」できなくなってしまった娘。そして日々綱渡りな、学校→放課後等デイサービスへの「移動手段の確保」
「夫が単身赴任を終え、自宅に戻ってくることになったのは2年後。娘が、『不定期に月に1、2回出没する』父親にようやく慣れたころでした。そのころには夫を『父親』として認知できなくなっていました」 【動画】「障がい児を育てながら働く綱渡りの毎日」「取り残される障がい児・医療的ケア児の親たち」 ***** 「障がい児及び医療的ケア児を育てる親の会」という団体をご存じでしょうか? この会では、障がい児や医療的ケア児を育てながら、働き続けたい親たちが、ゆるやかにつながり、支え合っています。 障がい児や、医療的ケア児を育てながら働こうとする親の前には、両立を続けるためのハードルが幾重にも立ちはだかっています。子どもや家族の暮らしを守るため、この団体は行政や勤め先への働きかけを続けています。ケアの必要な子を育てている親も働き続けることができるよう、育児・介護支援制度を子の年齢で区切らず、障がいや疾患の状態に応じて配慮してもらえるよう、社会を変えようとしているのです。 この会の会長であり、朝日新聞社に勤めながら、重度の知的障がいを伴う重い自閉症の16歳の娘さんを育てていらっしゃる工藤さほさんへのインタビュー、第9回です。 ―― 通えそうな小学校が見つかって、ようやく一息つけたのでしょうか? そうですね。娘の場合、ストレスによって自傷行為や睡眠障害が悪化することがあったのですが、それらを悪化させることなく、安心して過ごせそうな小学校が見つかりほっとしました。 ―― とはいえ、公立の特別支援学校のような送迎バスはなかったのですよね。通学はどのように? まさにそれが問題でした。娘が通うことになった私立特別支援学校「愛育学園」は当時、始業は午前9時半で、小学1年生は午後1時半には下校し、水曜日はお休み。その代わり土曜日に学校がありました。
幸い、私の勤め先では当時、子どもが小学3年生の年度末まで時短勤務が認められていました。そこで、娘が小学校にあがっても短時間勤務を続け、私が朝、学校まで連れていくことにしたのです。 ―― 電車やバスなど、公共交通機関を利用されたのですか? 朝の登校時間帯の電車は混んでいて、娘が声をあげたり、乗客を触ったり、落ち着かなくなるので、私が運転する車で連れて行きました。 土曜日は、保育園がお休みの次女も連れて登校し、学校近くでお迎えまで過ごしました。次女は姉たちが楽しそうに過ごす愛育がうらやましくなり、私も小学生になったら行きたいと言うようになりました。 ―― 時短勤務とはいえ、下校が午後1時半ですと帰りは付き添えませんよね。 はい、そのため、下校時はヘルパーさんなどに送迎をお願いしました。 帰宅するためのルートは何パターンか考えられましたが、私が同じ時間帯に実際にバスや電車に乗ってみて、決めました。 ちょうど別の学校の下校時刻が重なって車内が混雑し、娘が落ち着かなくなったり、その他さまざまな要因が気にかかったりして、何度かルートの見直しが必要だったのです。 ―― 小学校が終わったあとの時間、どのように過ごされていたか教えてください。 下校後は、希望していた放課後等デイサービス(放デイ)に通えることになりましたが、月曜と火曜は連れて行ってくれるヘルパーさんが見つかりませんでした。 そのため、月、火は放デイには行かず、保育園のころにお願いしていたシッターさんに学校へのお迎えをお願いし、その後は家で過ごしてもらうことにしたんです。 保育園時代と同じように、学校へのお迎えをお願いし、電車やバスに乗って 小1時間かけてゆっくり帰宅。その後は、お家でおやつを食べたり、お散歩に連れて行ったりしていただきました。 いま振り返ると、学校へ通うという非常に大きな環境の変化があったなかで、「週の始まりは慣れ親しんだシッターさんと、自宅でのんびり過ごす」ことができたのは、娘にとっても良かったのではと思っています。