「アムロちゃん」とのダンスの差に失望、デビュー曲は恩師「夏まゆみ」先生の振付【鈴木蘭々さんインタビュー】
芸能活動35年目の鈴木蘭々さん。現在49歳、オトナサローネ読者には大人気子ども番組『ポンキッキーズ』(フジテレビ)で安室奈美恵さんと組んだユニット「シスターラビッツ」、ファッション誌のモデル、CMとファンだった方も多いでしょう。 10代でデビュー、90年代にはCM、テレビ出演、歌手活動と休みなく大活躍しているなか、突如23歳でニューヨークへ。帰国後は舞台に活躍の幅を広げ、38歳でコスメ会社を起業。歌手活動を再開した今、彼女の人生、今の思いを伺いました。 【画像ギャラリー】鈴木蘭々さんの貴重な「プライベート写真」、デビュー当時からの写真をすべて見る
中1でみずから原宿へ。スカウトされた20社には自分で電話確認
――子どものころはアイドルになりたかったそうですが、なにがきっかけだったんですか? 憧れていたアイドルは? 気が付いたらなりたいって感じでした。子どものころってとくに理由持たないじゃないですか。なんとなく、いつの間にか「テレビの人とかアイドルになりたい」って思っていて。後付けみたいになるんですが、松田聖子さんが好きでした。 ――ファンのあいだでは有名な話ですが、オーディション情報誌の「原宿でスカウトされたラッキーガールの白石さん」という方のグラビアを見て、原宿に行けばスカウトされるかもしれないと、中学1年生のとき制服を着て原宿でスカウトされたと。 はい。名刺が20枚くらい集まったところで、自分でぜんぶ電話してあやしくないかチェックして、最終的に大手事務所と小さいモデル事務所の2つに絞って…… 最終的に選んだのは小さい事務所でした。 89年第1回「ミスチャンピオン」準グランプリになるも、しばらくはオーディションに落ちる日々。それは、求められるCMのキャラを無視していたから。また、コスプレのような恰好でオーディションに行っていたから。
念願叶う!恩師に振付をしてもらったデビュー曲「泣かないぞェ」
――1995年、TV番組レギュラー6本を抱えるなか、「泣かないぞェ」で念願の歌手デビュー。作曲は筒美京平さん、蘭々さんは作詞にも携わっています。レコード会社に夏まゆみ先生(※)に振付を頼みたいとお願いしたとか。 ※夏まゆみさんは、昨年61歳の若さで亡くなった人気振付師。モーニング娘。やAKB48、古くは吉本印天然素材、近年ではSnow Manの番組内ダンスバトルの審査員としても知られる 夏先生が渋谷のダンススタジオで教えていたときからの生徒だったんです。私が18歳くらいのころかな、先生は当時中山美穂さんとかのバックダンサーをしていたり、吉本天然素材のダンス指導をしていたりダンス界隈では既に有名な人でした。 なので「私もいつか歌手デビューできたら、先生に振り付けしてもらいたいな」とか言ったりして、「もっと有名になったらなぁ~」なんて冗談ぽくあしらわれたり(笑)。そのとき「絶対有名になってやるぞ!」って井の頭線の改札で奮起しました! ――夏先生に振付けしてもらうことをめざしながら、94年『ポンキッキーズ』の出演が決まり、安室奈美恵さんとのユニット「シスターラビッツ」で一躍ブレイクしました。 アムロと共演するにあたり、振り覚え、動き、すべてに格差を感じて自分に失望。なのであの頃は本当にレッスンを頑張りました。テレビを見た夏先生には「身体の使い方がすごくいいよ」とほめられて心の底からうれしかったです。 ―― 夏先生の魅力ってどんなところですか? とにかくかっこよくて色気があって、初心者にもフレンドリーに声をかけてくれるやさしい先生でした。モーニング娘。さん達をスパルタ指導されている姿がテレビでは放送されていた時期もあってその印象が強い人も多いですが、普段の先生は全然違いました。厳しいときもあるけど至って普通の厳しさで、厳しいという表現より、人を育てようという気持ちに溢れていた人だと思います。 ―― 実際、デビュー曲を恩師に振り付けしていただいて、どうでしたか? かつての自分に戻って言うなら、「もっとちゃんとやれ」ですね(笑)。「せっかく振り付けしてもらったんだからもっとちゃんとやれ!」と過去の自分には言いたいです! 今思えばちょっと先生のやさしさに甘えていた部分があったと思います。例えば、覚えたと思って復習しなかったせいで次のリハーサルまでに忘れている部分があっても、また教えてもらえばいいや、みたいな……甘えてますね!! ――94年の『ポンキッキーズ』出演あたりから忙しくなり、96年・97年には2年連続CM女王に。「2年半お休みなし」という多忙な時期が続いたそうですね。過酷な状況だったと思います。そのころのプライベートはどんな感じでしたか? 休みがないわけなのでプライベートも当然ほとんどないですよね、ハイ…。 ――そのときの楽しみは? そもそもこの仕事がしたくてこの業界に入っているので、仕事をしてることが楽しくはありましたよね。 あと海外ロケ等は仕事とはいえ、プライベートでは行けないような場所も多くて、元々歴史が好きだったり異文化にも興味があったので、楽しかったし勉強にもなりました。 ―― いろいろなジャンルのお仕事をされていましたが、当時、いちばん好きだったお仕事は? 自分の能力がものすごく発揮されているのはCMだと思います。なんて言うのかな……自分で言うのもなんですが、要望に応えるのがうまいって言うか、例えば商品をカメラ前「そこで止めて欲しい」と言うところにピタっと止めたり、そういうのが得意なんですよね。あと声が通るので、ナレーションの声をほめられたこともあります。 ――当時、仲よかった方で、今も繋がってる方っていらっしゃいますか? みんなそれぞれ家庭を持ったり出産したりでブランクはあるけど、なんとなく今も繋がってるのはBOSEくんとか一色くん(一色紗英)、あとひなの(吉川ひなの)とかも繋がっています。あとTRFのCHIHARUさんとかETSUさんも20代の頃からお世話になってます。 よく「芸能人の友だち、誰がいるんですか」って聞かれるんですけど、当時はお互い忙しすぎて遊ぶ暇なんかありませんでしたし、事務所の管理も厳しかった。モバイルはまだPHSが主流で(笑)、LINEもSNSもありませんから連絡を取り合う手段そのものもあまりなかった。だから芸能界での友だちって作るの難しかったと思います。でも今は当時疎遠になった人でも、連絡を取ろうと思えばSNSを通じて取れるんですから、時代は本当に変わりましたよね。 profile ■鈴木蘭々 1975年8月4日生まれ、東京都出身。「泣かないぞェ」「キミとボク」などヒット曲多数。2018年から歌手活動を再開。芸能生活35年を迎えた23年、初のベストアルバムを発売。基礎化粧品ブランド「NARIA COSMETICS」を立ち上げ、化粧品の開発や販売もする会社の社長という一面も。
オトナサローネ編集部 木村美穂