8割が耕作放棄地…かつて米どころとして名を馳せた「千町の棚田」守るために必要なことは
水の管理も、米作りに欠かせない大切な作業の一つ。この日、急な坂道の先にある水源の沢の様子を確認です。 成高先生: 「昔の人は田んぼが全面にあったから、上から順番に水がおりてきてた。耕作放棄地になって水が入らなくなってきた。水源がどこにあるかわからなくなっている所もある」
保全活動を始めて10年…成高先生の思いは
棚田の保全活動を始めて今年で10年… 棚田チーム卒業生 三好さん: 「でも定年60過ぎでしょ?成高先生今年いくつっすか?」 成高先生: 「今年?25!こんなん軽いもんよ~」 棚田チームの卒業生やかつての教え子も加わって、少しずつ広がってきた保全活動の輪。
成高先生: 「ちょっとずつ育ってきよるから少しずつ」 Q.先生にとってうれしい? 成高先生: 「うん譲れるから。なんぼ僕らがやれてもあと5年ぐらいやから」 Q.これだけの広さを守っていくとなったら何が大事か? 成高先生: 「やっぱり人とのつながりかな一番はね。あと関心をもってくれる方とかね。関心をもってくれたら少しずつ広がるから」
過去から現在、そして未来へ。米作りを通して人と人とを結びつけてきた石積みの棚田。千町の棚田に、間もなく実りの秋が訪れます。