阪神・矢野監督の仕掛けた9回勝負手に賛否
そもそもベンチの「ギャンブルスタート」の選択は正しかったのか? ネット上では、この走塁とベンチの判断を巡って議論が沸騰している。ヤフーのコメント欄では「そういうサインが出たとしても外野にライナーが飛んだ時点で戻れなかったのか」「仮に当たった瞬間にゴーのサインだとしても、一目でも打球を見れば外野に飛んだくらいは分かるはず」と、植田の対応を責める声や、「サインなら仕方がない」と理解する意見。「ゴロゴーならわかるけど、当たりゴーのサインがここで必要だったのか」「犠牲フライでもよかった場面だったし、2アウトになっても二死三塁で代打勝負にしても?」とベンチのサインに疑問を抱くコメントもあった。また試合後、植田を責めず責任を負った矢野監督の姿勢を評価する声も多かった。 有名な話だが「ゴロゴー」より一歩踏み込んだ「ギャンブルスタート」を野球界に持ち込んだのは“名将”野村克也氏とされている。 ヤクルト監督時代の1992年の西武との日本シリーズの第7戦で、三塁走者だった広澤克実氏のスタートが遅れて本塁で憤死。絶好の勝ち越し機を逃して延長戦で敗れたことを反省し、翌年の春季キャンプから徹底して「ギャンブルスタート」を特訓した。そして、翌1993年の日本シリーズ第7戦の8回に一死から三塁走者の古田敦也氏が広澤氏の内野ゴロでギャンブルスタートを切って生還。リードを4-2に広げて日本一となった。野村氏が語っていた「ギャンブルスタート」の極意は、「ランナー、相手の守備隊形、打者の技術、そして、その後の打者、相手投手の調子、相性、試合展開などのすべての状況を踏まえて判断を下す」というものだった。日本シリーズのこの古田氏の走塁はサインではなく走者判断だったという話もあるが、点差は3-2とリードしている場面だった。
1点負けている9回で三塁に“虎の子”の同点走者を置き、この手のギャンブルを打つのはセオリーではないとされている(セオリーではないからギャンブルとも言うのだろうが)。 そして、このノムさんの時代と大きく違っているのが、コリジョンルールの導入である。本塁の捕手ブロックがなくなり、本塁ベース上のクロスプレーは走者有利となり、これまで「ギャンブルスタート」と「ゴロゴー」の間にあったスタートの速さの誤差が埋まるようになってきたと言われている。その分、三塁走者により高いレベルの打球判断が要求されるようにはなった。 この日のゲームで言えば、打球判断のキャリアは足りないが、三塁走者の植田の足は申し分なかった。そして、まだベンチには「代打・鳥谷」も残っていた。しかもロッテの益田も本来のリズムを作ることができていなかった。「ギャンブルスタート」のリスクを考えると「ゴロゴー」でも良かったのではないか。植田の足ならばゴロでの生還はもとより多少浅い外野フライでも勝負ができたかもしれない。 そして、もうひとつの疑問は、高山に「ギャンブルスタート」のサインが徹底されていたのか、どうかという点である。その前の打者、梅野は意識して内野ゴロを打ち、植田を三塁へ送ったが、高山のバッティングは、ゴロを狙いにいくそれではなかった。 監督1年目。「矢野ガッツ」の方針は、素晴らしいと思うが、ベンチの経験不足がモロに露呈したゲームになった。 この日の試合では、木浪に3つの守りのミスがあった。失策と記録されたのは一つだけだったが、チームの失策数「49」はリーグワーストである。まだそういうミスを取り返すほどの地力はチームにない。自滅しているようではセ・リーグ不利の交流戦では勝てないのである。