今なお残る「鉄道遺構」 ほぼ当時のまま…半世紀以上前の駅待合室 鉱石運ぶ2つの「トロッコ跡」 あの“世界遺産”との関係も…
線路が残っていました。 レールの間隔は50センチ余りで、一般的な軽便鉄道よりさらに狭く、極めて簡易な規格だったようです。 鬼村鉱山の閉山は1967年ですが、鉱山の中ではトロッコがかなり後まで現役だった可能性はありそうです。 松代・鬼村鉱山等調査研究協議会 アドバイザー 中村唯史さん 「かつて石膏は島根県が全国一の産出量だった。セメントに大量に使われて高度成長期を中心とする時代の国内のインフラ整備で大変役に立った、使われたという、そういう意義がありますね。」 同じ大田市内の石見銀山とも関係があります。 松代・鬼村鉱山等調査研究協議会 安藤彰浩会長 「世界遺産・石見銀山なんですけども、その銀山での採掘の技術などが石膏の鉱山の開発にも大きな貢献をしておりますから。日本の近代化に大変大きな貢献をした産業がこの地域にあったということを、きちっとした形で整理をして次の世代の人につなげていきたい」 解説の看板を設置するなどし、鬼岩と合わせてPRを進めたいということです。 入江直樹記者 「細いレールに普通では考えられないような下り坂。こういうのを見ると本当にワクワクしますね。知られざる鉄道遺構はまだ沢山ありそうです。」
山陰放送