今なお残る「鉄道遺構」 ほぼ当時のまま…半世紀以上前の駅待合室 鉱石運ぶ2つの「トロッコ跡」 あの“世界遺産”との関係も…
松代・鬼村鉱山等調査研究協議会 安藤彰浩会長 「後ろの倉庫まで、鬼村と松代両方の鉱山からトロッコの軌道がついておりました。」 トロッコは2キロほど南にあった2つの鉱山から、鉱石を運んでいました。 松代・鬼村鉱山等調査研究協議会 アドバイザー 中村唯史さん 「透明度の高い方がやっぱり品質が良かったようです。」 セメントの原料になる石膏です。 学習会などを通じ、地元の埋もれた歴史の発掘に尽力している安藤さんたちと一緒にトロッコの跡をたどります。 松代・鬼村鉱山等調査研究協議会 安藤彰浩会長 「ここはですね、鬼村鉱山からトロッコで運んで来たものが、松代鉱山から来たのとちょうど合流する地点なんです。」 静間軌道は、路面電車のように道に線路が敷いてあり、2つの鉱山からの線路がY字形に合流する路線でした。 当初は山陰線に駅がなかったため、日本海に面した和江港で船に鉱石を積み替えていましたが、1926年の静間駅開業で貨物列車利用に替わりました。 一方で、トロッコは鉱山で働く人たちのライフラインにもなっていたといいます。 松代・鬼村鉱山等調査研究協議会 安藤彰浩会長 「帰りは空ですから、こちらの静間の町の中で生活物資などを仕入れてまた持って帰ると。子どもたちも帰りには乗っけてもらったり。」 鬼村鉱山に向け車を走らせます。 鉱山の名前の由来になった鬼岩(おにいわ)という巨岩の近くでは… 松代・鬼村鉱山等調査研究協議会 安藤彰浩会長 「トロッコでの運搬をしていた時に道路と合流する地点ですね。」 入江記者 「後ろがちょっと高くなってますけども、あちらがトロッコの道だった?」 安藤会長 「そうです。山沿いにですね、鉱山の方から運び出してこの道路に合流したと。」 ここからは鉱山の様々な施設の間にトロッコの線路だけがぐねぐねと張り巡らされていたとのこと。 さらに山を登って行くと、そこには… 松代・鬼村鉱山等調査研究協議会 安藤彰浩会長 「上と真横に行ってる分がありますね」 入江記者 「あっ、あそこにありますね」 安藤会長 「で、これは下へ行く分です」