甲子園決勝で投げる星稜・奥川と回避した大船渡・佐々木の違いはなぜ生まれたのか?
大船渡も甲子園での奥川と同じく決勝までに5試合を戦った。 チームは2回戦からの登場となり遠野緑峰戦(7月16日)に佐々木が先発。大量得点を奪ったこともあり2回でマウンドを降りて打者6人を完全に抑え19球。3回戦の一戸戦(18日)にも先発して6回で参考ノーヒットノーラン。コールド勝利だったが、球数は93球かかった。 そして問題の中2日空けて先発した21日の盛岡四戦である。延長12回を一人で投げ切って7安打21奪三振のピッチングで勝ったが、球数は、194球にもなった。 翌日の準々決勝の久慈戦では佐々木は登板回避。チームは延長11回を戦い6-4で勝った。延長戦で多くの球数を消費した翌日に登板を回避して温存されるという起用法は奥川と同じだ。 そして中1日空き、実質2日間の休養をとった24日の準決勝、一関工戦に先発した佐々木は2安打15奪三振の完封。球数は129球だった。7回で降板した奥川と比べると、ここで42球の球数の差が生まれている。5試合を終えて佐々木が計435球で、奥川が385球。50球の差が出ているのは、延長戦での29球の差と、ここでの42球の差の影響だ。 大船渡の準決勝のスコアは5-0で、9点の援護をもらった奥川とは確かに余裕が違った。2番手、3番手投手のレベル、信頼度の違いもあるだろう。だが、大船渡も大和田健人、和田吟太、柴田貴広、前川眞斗という4人の投手を作って大会に臨んでいた。 この50球の差には決勝から球数をどう逆算するか、という監督のトータルのマネジメント能力の差が見え隠れしている。 佐々木と奥川の肉体面での完成度の違いやコンディションの違いもあったのだろう。試合展開の違いもあった。そこを差し引きすれば単純比較のできない問題ではある。だが、決勝の舞台に奥川を上げた林監督のマネジメント能力に加え、毎試合、毎試合、奥川と[「投げる」「投げない」の話し合いを行っていた林監督のコミュニケーション能力の高さも評価すべきだろう。 そして、もう一つの大きな違いが、決勝前日の休養日のある、なしである。岩手大会では、準決勝の翌日に花巻東との決勝戦が行われている。奥川は、夏の甲子園で初導入された決勝前日の休養日について「投手としては嬉しい。チームとしても切り替えができる」と、大歓迎していたが、もし岩手大会の決勝前日に1日でも休養日があれば、「故障予防のため」に花巻東との決勝戦での佐々木登板を回避した大船渡の國保監督の決断も、少し変わっていたのかもしれない。 プロ野球出身者の高校野球監督第1号で瀬戸内高校監督時代に甲子園出場経験があり、10年以上前から「球数制限の導入」を主張してきた後原富氏は、「奥川投手がうまく球数を調整してもらって決勝で投げることと、決勝では投げることができなかった佐々木投手の起用法が比較されることは理解できるが、私は大船渡の監督の決断は正解だったと思う。アメリカでは、とっくの昔に球数制限を導入している。もし、そういうルールがあれば、2人の起用法が対比されることも、大船渡の監督の決断に議論が生まれることもなかっただろう。この先、変わっていかねばならない高校野球の姿について議論が活発になることを願う」という意見。
星稜の林監督だけでなく、履正社の岡田監督も準決勝の明石商戦では、プロ注目のエース左腕、清水大成を温存して2年生の岩崎峻典を完投させるなど、投手の負担を減らすことに神経を使ってきた。 奥川は決勝のマウンドでどんなパフォーマンスを見せることができるのか。将来のある好素材を抱える監督が、その選手をどうマネジメントすべきか、という命題にひとつの答えを出す大会のフィナーレになりそうである。