「禎ちゃん、やったよ」…「原爆の子の像」モデル佐々木禎子さんの同級生、ノーベル平和賞に心優しかった旧友思い「活動もうひと踏ん張り」
ノルウェー・オスロで10日に行われたノーベル平和賞の授賞式後、日本原水爆被害者団体協議会の代表委員は、折り鶴が描かれた横断幕を掲げた。晩さん会会場となったホテルには、数多くの折り鶴が飾られた。 【写真】原爆の子の像(広島市)
「 禎さだ ちゃん、やったよ」。広島の被爆者、川野登美子さん(82)は、そんな光景が映るテレビを見て思った。広島市の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんと小学校2~6年時の同級生。誰よりも足が速く、心優しかった旧友の姿が心に浮かんだ。
禎子さんは2歳の時に被爆。6年生で白血病を患い、1955年10月、12歳で亡くなった。川野さんが最後にお見舞いに行ったのは同年8月。2人で言葉少なに鶴を折った。帰り際の、さみしそうな目が忘れられない。
同級生が寄付を呼びかけ、建てられたのが原爆の子の像だ。回復を願って折り鶴を作り続けた短い生涯は国内外で紹介され、今では年間1000万羽が寄せられる。語り部でもある川野さんは、折り鶴をノートに再生し、これまで2万冊以上を海外の子どもたちに届けてきた。
折り鶴は生きたくても生きられなかった少女の切なる思いを乗せ、平和の象徴として世界に広がった。川野さんは言う。「ノーベル賞は禎ちゃんに贈られたと思う。私も、もうひと踏ん張りしないと」。名誉ある賞は、草の根で活動を続ける人たちに力を与えている。(広島総局長 神谷次郎)