「スキーなしの人生は考えられない」元フリースタイルスキー日本代表・上村愛子の途切れることのないスキーへの感謝と愛情。それを支える食生活
アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回登場するのは、フリースタイルスキー・モーグルでオリンピックに5度出場しすべて入賞、世界選手権優勝やワールドカップ総合優勝など第一線に立ち続けた上村愛子さん。長期間にわたり第一線で活躍できた経緯、その土台となる食への意識、今後への思いなどを聞いた。 ■スキーとの出会い、モーグルに取り組んだきっかけ ――スキーを始めたきっかけを教えてください。 兵庫県の伊丹で私は生まれているんですけど、まだ自分の記憶がない頃に伊丹から長野の方にスキーに来ているみたいなんですね。その後も長野に行っている中で、気づいたら滑って遊んでいました。 ――スキーの魅力をどのようなところに感じていたでしょうか? スピードを出すことがすごく楽しかったですね。小さい頃は自分で風を感じられるのは走るくらいしかなくて、でも雪の上に立っているだけで風を感じられるのがすごく面白くて。板を走らせればもっと風を感じられる、思うように風を起こせるのが楽しくて、だからスピードを出すことを楽しく感じていました。 ――スキー競技の中でもモーグルに取り組んだのはどのようなきっかけがあったのでしょうか? 小学生の頃からアルペン競技をしていましたが、中学校2年生のとき1人でカナダのウィスラーに行きました。そこでモーグルの試合を見て、そのかっこよさ、斜面にあるこぶを滑り降りる技術が衝撃的で、「こんな競技あるんだ」と驚き、自分でもやってみたいと思いました。
■4度目のオリンピックののち休養した経緯 ――高校3年生だった1998年には長野オリンピックに出場しました。 モーグルを始めたあと中学3年で全日本選手権の表彰台に上がり、高校1年からナショナルチームにも参加させていただき、ワールドカップにも出場するようになりました。 ただオリンピック代表に選ばれるかどうかはぎりぎりまで分からないくらいの位置で、代表を獲りに行ったというよりも、「出られた!」という感覚でした。大会は、地元ですしとにかく楽しかったですね。 --長野のあと、ソルトレイクシティ、トリノと出場し、2007-2008シーズンはワールドカップ総合優勝、2008-2009シーズンの世界選手権ではオリンピック種目ではないデュアルモーグル(2026年大会から採用)と合わせて2冠。素晴らしい成績を残して迎えた2010年バンクーバーオリンピックでは4位でした。どのような大会だったでしょうか。 16歳から世界大会に出て18歳で長野オリンピックに出て、その頃から応援してもらっていました。その中で、自分が何をしたいか、自分で自分を認めるというより、みんなから見てもすごい選手じゃないといけない、ワールドカップで優勝しても「まだまだ足りないよな」と思っていました。 バンクーバーでまたオリンピックでメダルが獲れなくて、「どうやって自分のやってきたことを腑に落とそう」と考えずにいられませんでした。 ――その後、休養を選択し、そして復帰しました。 自分の結果で周りをがっかりさせていると感じてしまいましたし、私の場合は精神的に病むか病まないかぎりぎりまで考えて、ぎりぎりまでやらないと自信を持てないと考えて取り組んでいたので、トリノ、バンクーバー、その8年くらいはきつかったのもありました。 休養している間、ずっと考えましたが、でも引退する理由はみつかりませんでした。自分にはスキーしかないと思い、復帰しました。 ■幸せだったと感じる20年間 ――ソチオリンピックへ向けて再始動しての心境はいかがだったでしょうか。 まわりがどうみているか、評価しているかではなく3年間でできることを現実的に逆算して、かえなければいけないこと、間に合わなくても焦らないことを考え、1年ごとに成績を出すより3年後に間に合わせようと思いました。 自分に対する見方もかわりました。長い間、ちょっとネガティブな感情もあったりしながらもあきらめないで、成績も落ちるわけではなく戦えるように頑張ってきたことは認めてあげようかな、と。 ――ソチにも出場して5大会連続入賞の4位となり、そのシーズンをもって引退しました。5度にわたりオリンピックに出場するなど長い競技生活はどのような時間だったのでしょうか。 私は戦績がすごく面白いと思うんですよね。7位から始まって6位、5位、4位、4位。オリンピックを一段ずつ上がる人ってあんまりいなくて。 オリンピックを目指している人の成功って、やっぱりメダリストというのが大前提だと思うんです。私もそれを目指していたし、でも一つずつ上がっていけたからこそ長く続けられたところもあったと思います。 成績だけの意味ではなく、20年間やったおかげで自分なりのメンタルの持ち方とか、自分なりの一番いいパフォーマンスを出せる時のルーティンはこうだとか、そういう答えをちゃんと出しながら、本当の意味でちゃんと階段を登ることができたと考えています。 苦しい時間も多かったですけど、20年もすごく好きなことを、一生懸命取り組むことができたのがすごく幸せだなと今は感じます。