「あきたこまち」40周年 米袋女性は今 秋田県出身のモデル「ハヤセ」さん
「あきたこまちの米袋に印刷されていた市女笠(いちめがさ)姿の女性は、誰なのでしょうか」 小野小町をイメージした「あきたこまち」の米袋(JA全農あきた提供) 秋田県の60代男性から本紙「農家の特報班」にそんな質問が届いた。「あきたこまち」といえば、誰もが思い浮かべるのが米袋に描かれる市女笠姿の女性。現在はイラストだが、発売当初は実在の女性が印刷されていた。「当時としては斬新なデザイン。強く印象に残っていた」と質問者の男性。同品種がデビューして今年で40周年。人気を支えた立役者を知りたいという声を受け、記者が取材した。 同品種は秋田県の育成品種。同県出身の説がある平安時代の歌人、小野小町にちなんだ名前で1984年にデビューした。 JA全農あきたによると、イメージキャラクターも小野小町を意識し、「平安時代の女性が身に着けていた旅装束の市女笠姿の女性を採用した」(米穀販売課)。 発売当初にモデルを務めたのが、質問者が気になるという例の女性。85年から98年まで米袋に印刷され、ポスターや米穀店の置き看板にも使われた。通常、米袋は流通過程でさまざまなデザインが使われる。同品種はこの女性の印象が強く、幅広い業者が米袋に同じ写真を使っていた。 「例の女性はどんな人なのですか」。全農あきたに聞くと、芸能事務所に所属していた秋田県出身のモデルで「ハヤセさん」という名前らしい。本人と連絡を取って取材を依頼すると、快く引き受けてくれた。 「ブランシェ所属の早瀬茉莉と申します」 対面した早瀬さんは、「あきたこまち」の写真と変わらない透明感で、所作の美しさが印象的な女性だ。これまでの経歴や「あきたこまち」のモデルを務めた経緯を聞いた。
県出身で白羽の矢
早瀬さんは秋田県出身で、20歳の時に上京して大手芸能事務所に入った。同品種PRの依頼は、県出身だったことで白羽の矢が立ったのだという。 現在、「ブランシェ」という事務所に移籍し、モデルを続けている。大手の自動車メーカーや外食チェーンなど、有名企業のテレビCMに出演した経験もある実力派だ。 「あきたこまち」の仕事で印象に残っているのは、秋田県での撮影で地元の美容師がメイクをしてくれたこと。「めごい(かわいい)手だねえと声をかけてくれたことがうれしくて」と振り返る。採用された写真の市女笠から垂れ下がる白い薄布を開くポーズは「指先がきれいにみえるよう意識した」と話す。 「あきたこまちの仕事は、私にとって特別」と早瀬さん。CMや雑誌は次々と新しいものが出てきて、放映・掲載後のわずかな時間しか注目されない。だが、「あきたこまち」は14年間もモデルとして使われ続けた。取材依頼をした男性のように、今でも早瀬さんのことを覚えている人もいる。「あきたこまちに関われて、本当に光栄だったと改めて思う」と微笑む。 今でも早瀬さんが毎日食べる米は「あきたこまち」。別の品種が気になって食べてみたこともあるが、「口になじまなかった」。「あきたこまちが、私の基本のお米」と早瀬さん。デビュー40年を迎えた同品種に「この先も愛されてほしい」とエールを送った。 (金子祥也)
日本農業新聞