巨人で引退セレモニーも中日移籍 世界一のバント職人
創立90周年を迎えた巨人。巨人での出場試合が多い野手、投手を中心に記録にも記憶にも残る歴代の「偉人」を紹介します。第17回は川相昌弘。 * * * 川相昌弘といえば、巨人が世界に誇るバント職人。533犠打の世界記録保持者だ。 1964年9月27日、岡山県出身。岡山南で投手として2度甲子園に出場し、82年ドラフト4位で入団するが、すぐに内野手に転向した。85年からは守備要員として1軍定着。89年から「2番・遊撃」に定着し、ゴールデン・グラブ賞も獲得した。守備の名手として同賞を計6回受賞しているが、川相の名を高めたのはやはりバントだった。 90年に58犠打で当時の新記録を作り、翌91年は66犠打と自己記録を更新(現在の記録は2001年のヤクルト・宮本慎也の67)。93年まで4年連続リーグ最多犠打。94年は自身初の打率3割(2厘)をマークし、2年連続全試合出場も果たす。 98年、平野謙(中日など)を抜き452犠打のプロ野球記録を達成すると、03年8月20日の横浜戦で512犠打に到達。エディ・コリンズのMLB記録を抜き世界一となった。同年、引退を表明し、セレモニーも行われたが、中日に入団テストを経て移籍。06年に引退するまで犠打の数を「533」まで伸ばした。 ニックネームは若い頃から老け顔だったため「ジイ」。現在は得意のオヤジギャグを時折飛ばしながら、内野守備コーチとして阿部監督を支えている。
報知新聞社