国語デキない人「文章力上げる」たった1つのコツ 国語の授業で学んだ、伝わりやすくなる要素
社会の授業であれば、「今日は徳川家光の治世について話すぞ」と言われた瞬間に、「今日は、『徳川家光がどんな人物か?』『徳川家光がどんなことをしたのか?』『他の時代と比較してどうなのか?』『後世にどんな影響を与えたのか?』などが聞けるだろう」と頭に思い浮かべることができて、その状態で授業を聞くため「あ、この疑問の答えはこれだな」と、疑問の答えを聞いているかのような感覚で授業を聞くことができるのです。
■授業についていけない生徒は「疑問」が抜けている 逆に、あまり授業についていけない生徒は、疑問を持って話を聞くということをせず、「なんとなく授業を聞いていたけれど、結局先生は何の話をしていたんだろう?」と、迷子になってしまっていることが多いです。 このように、相手の話に対して「根本的な問いはなんなのか?」を考える技術があると、読解力・理解力が全然違ってきます。 またその逆で、「問い」に対する理解をしている人であれば、きちんと「問い」が明確な文章を書くことができます。
例えばみなさんが日常生活を送っている中で、「なんかこの人の話、わかりづらいな」「回りくどくて、何が言いたいのかわからない」という相手に出会ったことがあると思います。たいていの場合、それは「問い」が明確ではない喋り方をしてしまっているからなのです。 私は授業の際に、「どうして、〇〇は××なのかと言うと……」というように、問いを提示しながら話をするようにしています。 「何の疑問を解消するための授業なのか」がわかっていない状態だと、授業もちんぷんかんぷんになってしまいます。だからこそ、こちら側から生徒に対して「何を疑問に思ってほしいのか」を明確にすることで、生徒の理解力を底上げしているのです。
これは先ほどの文章の、「なぜ英語は、日本語に比べて発音が難しいのか?」と同じですね。最初に「この質問に対しての回答をするよ」と予告したほうが、相手に伝わりやすい説明・文章になるのです。 ■問いの技術があるかないかで理解力は変わる いかがでしょうか? 私が「国語の授業は、問いの技術を磨くためにある」という話をしたのをご理解いただけたのではないかと思います。この記事自体も、「国語の授業の存在意義とは何か?」という問いに対する答えとして作ったものでした。
「『国語の授業の存在意義は何か』という質問に対しての答えが書いてあるはずだ」「なぜその答えを『問いの技術を磨くため』と定義しているのか」「『問いの技術』があるとなぜ『読解・説明・理解・作文』の能力が高まるのか」といったことを考えながらこの記事を読んだ人であれば、内容を理解するのが容易だったのではないかと思います。 ちょっとした文章を読んでいるときでも、問いの技術があるのとないのとでは全然違ってきます。ぜひ、「問いの技術を磨く」ということを意識していただければと思います。
辻 孝宗 :西大和学園中学校・高等学校教諭