「ここにたどり着けない人もいる」3年で1万食提供の“子ども食堂”で…見えてきた課題と目指す支援 #令和の子 #令和の親
愛媛県松山市三津にある子ども食堂「Mitsu想 ミツオモイ」。 コロナ禍で行き場を失った子どもたちの居場所を作ろうと、河﨑元(かわさき・はじめ)さん(45)が2021年に開設し、週に一度、近所の親子連れやお年寄りを中心にお弁当を提供してきました。 オープンから間もなく3年を迎える先月、累計提供数は1万食に達しました。1万食目を受け取ったのは、近くに住む廣川奏太くん(6)。「ここのお弁当はおいしくて好き」と笑顔を見せます。 ギタリストの父親・叔哉さん(46)は「夫婦共働きでまだ小さい子どももいるので、こうして時々お弁当を頂けるのは非常に助かりますし、息子も楽しみにしています」と話します。
この日、用意されたお弁当は60食。河﨑さんの母親・豊田みちるさんがメニューを考え、朝からご近所さんと3人で丹精込めて作っています。開設当初は1日30食限定でスタートしましたが、すぐに予約でいっぱいとなり、用意する数も徐々に増えていきました。 みちるさん: 「自分の孫たちに作っているような感じです。色々入れたら喜ぶだろうなと思いながらあれこれ作ってしまうので毎回赤字ですが、子どもたちの笑顔を励みに、できるだけ続けていきたいですね」 子どもは無料、大人は300円と格安のお弁当。60食のうち半分は子どもたちに手渡され、近所のお年寄りなども多く購入していくといいます。
子ども食堂が開催される木曜日以外も、飲食店として軽食やドリンクを提供する「Mitsu想」。放課後や休日になると、自然と近所の小学生たちが集まってきます。 河﨑さんが「Mitsu想」を開設したきっかけは、小学校のPTA会長を務めたことでした。地域の情報を得る中で、『不登校、引きこもり、貧困、自殺』など、子どもたちを取り巻く様々な問題を知ったといいます。 「自分にできることは何か…」と始めた毎朝の通学路の見守り活動は、今年で8年目となりました。当時、子どもたちに覚えてもらうために新調したという白い眼鏡は、河﨑さんのトレードマークになっています。 その後コロナに直面し、休校や公民館の閉鎖が相次ぐなか、「Mitsu想」を子どもたちに開放。今では河﨑さんを“おいちゃん”と慕い、ゆるやかに集う子どもたちの確かな“居場所”となっています。