届かなかったハガキ 上智大生殺人放火事件 未解決のまま27年
1996年9月9日、東京・葛飾区の自宅で上智大学4年の小林順子さん(当時21歳)が殺害され、自宅を放火された。 事件は未解決のままきょうで27年になる。 「順子じゃない、と。違う違うって思っていました。」当時をこう振り返った順子さんの大学時代の親友が順子さんに送るはずだった一通のハガキの存在を話してくれた。
■たまたまの隣の席がきっかけで
順子さんとの出会いは、上智大学の推薦入試での面接会場の待合室。 「隣に座ってたのがたまたま順子で、後ろの席の子も交えてなんとなく話が始まって。『緊張するね』とか言って、話しやすい子だなって」 3人はお互いに名前も聞かず会場をあとにしたが、その後、一般入試の会場で再会。実は、3人とも推薦入試で落ちてしまい再挑戦をしていたのだ。「今度こそは!」と誓った3人は見事合格、入学式で2回目の再会を果たし大学生活をともに過ごす親友となった。 入学当初から"世界で活躍するジャーナリストになる"ことが夢だった順子さん。 「大学入ったときから思い描いていたと思います。授業の選択の仕方が将来に結びつくような選び方で。ほかの学科の授業もちゃんと自分で見て選んでいたり、第二外国語も『中国語必要になると思うから』って、大学では当時マイナーだった中国語を選択したり」 また、旅行に行った時などには互いによくハガキを送り合っていたという。丁寧に書かれた文字には順子さんの几帳面な性格が表れ、文章の中には英語がよく使われていた。
しっかり者だった順子さん、親友たちに意外な一面を見せることもあったという。 「サークルの活動で新潟県に行き、旅館に泊まったとき、実は順子は怖がりで。私もそうなんですけど順子1人でトイレに行けなくて2人で連れ立って行ってました。待っている間にいなくなられるのが嫌で、待っている方が歌を歌い待っていないといけなかった」「かと思えば、旅行でドライブをしていると、突然、『順子のレディオクラブ』って言って、オリジナルのラジオ番組始めて。『リスナーの方とお電話つながってます』って言って友達に話振ったり大声で歌を歌ったり、おもしろい子でした」 充実した大学生活を送りながら着実に夢へと近づいていた順子さん。アメリカ留学を2日後に控えた日に、事件は起きた。