「野望は92歳まで音楽を」年を重ねるほど人生は面白い『カムカムエヴリバディ』作曲家 金子隆博
――実際のレコーディング現場はどんな様子でしたか? 現場では、渡辺貞夫さんや北村英治さんの立ち振る舞いが印象に残りましたね。世界中の人とジャズでつながっている、その幸せを感じました。お二人とも、ものすごくお元気で、バイタリティーに溢れていました。 よく考えてみてください、北村英治さんは92歳です。それなのに一日8時間、「もっとうまくなりたい」「もっといい演奏したい」といまだにバリバリ練習されています。渡辺貞夫さんも、自分の思ったことをスパッとおっしゃっていて、若者に気遣いなんかしないという様子で、それがなんか気持ち良かったです。やはり、人生の大先輩として、プレイヤーとして、こう生きていかないといけない、やっぱり自分の感性に素直に生きていかないといけない、ということに気づかせてくれた、素晴らしい録音になりましたね。 一生忘れることもできない録音でした。 北村英治 1929年東京都生まれ。慶応大学在学中にクラリネットを学び、1951年南部三郎クインテットでプロデビュー。アメリカはもとより、ヨーロッパ、オーストラリア等の大ジャズ祭に数多く出演し、世界的ジャズクラリネット奏者として活躍している。2007年4月旭日小綬章受章。
42歳で「職業性ジストニア」に サックスを諦めた過去
――金子さんは、米米CLUBでサックスを担当されていましたが、40代で自分の意思とは関係なく筋肉が収縮する「職業性ジストニア」を発症されたと伺いました。 当時、米米CLUBは解散していましたが、サックス演奏と並行して作曲や編曲の仕事も行っていたので、どちらの仕事も100%全力でやろうと考えていました。そして42歳の時、「職業性ジストニア」という病気になりました。 サックスを吹こうと思っても、サックスをうまくくわえられず、意思に反して首が逃げてしまうんです。最初の3年ぐらいは病名もわからず、サックスを演奏することができず、どうしようか悩み続けていました。 演奏家ってみんな1つのフレーズを弾けるように、繰り返し繰り返しやるものなんですが、自分としては喜々としてやっていることが、実は体にとってはちょっと負担になっていたということなのだと思っています。 サックスに関しては、プロとして19歳の時から本気で演奏してきたので、渡辺貞夫さんじゃないですけど「一生かけてサックスと向き合い、自分の音を見つけていこう」とずっと思っていたので、それなりのショックはあったと思います。でも42歳だったので、それ以上に音楽のクリエイティブな楽しさを知っていました。作曲をしたり、他にも音楽で自分なりに表現できることって何だろうと考えるようになりました。 ――非常に困難な状況なのに、どうしてそのように前向きになれたのでしょうか。 結局、昔からずっと音楽だけは続けていました。これでいきなりラーメン屋さんを始めましたとか、いきなり絵を描き始めましたということではない。ロールプレイングゲームみたいに、アイテム1つ取られました、サックスってアイテムをとられました、じゃあそこで死んじゃうんですか?って。まだ先がありますよ、さあどうしますか?っていう、そのぐらいのことではないかと思います。 それも1つの自分の“プライド“なのでしょうかね。僕は困難な時にこそ、力を発揮してみせたいという性格なのだと思います。