「拷問」の精神的ショックで難聴と失声症に...イラン刑務所の「窒息」しそうなほど狭い独房の実態
直面した本当の孤独
拘禁の初日から、私はヤサマンのことを考えまいと決心したが、それでも考えてしまう。あの子はどうしているだろう、ということが頭から離れない。娘の様子が知りたかったが、電話も面会も許されない。そこで尋問官に、娘の声を聞くまでは尋問に何ひとつ答えないと告げた。そうやって私が電話をできるようになったのは、3週間後だった。 ――そのときの独房は1985年のときと違っていましたか? 相変わらず、狭く、暗く、息が吸いづらい場所だった。メガネを持ってきていなかったので、何も見えず、読めず、クルアーンもだめだった。独房にはクルアーンしか置いていないのに、それすら読めなかったのだ。ペンも紙もない。骨の髄まで孤独で、時が止まっていた。 私はその独房に2ヵ月半いた。エントランスの厄介なベルが鳴るたびに、夜寝ているときでも飛び上がった。あるとき、母親が子どもの声色を真似ているのを聞いた。最初、刑務所に子どもが連れて来られたのかと思った。そんなはずもなく、すぐにどういうことなのか分かった。 そののち12号室に移されたが、部屋の様子はほとんど変わらなかった。暗さはさらに増し、少し広くなっただけ。しかし大きな変化もあり、神に感謝した。独房内のボタンを押せば、女性看守に外のトイレに連れて行ってもらえたのだ。1日に数回、数分だけでも独房とトイレやシャワーを行き来することで、生活に変化が生じた。外気に当たりに外に出されると、空が見えることが何よりも素晴らしかった。自分はひとりではないと思えて、気持ちが明るくなった。外に出るときにはチャドルを着ていた。 ――独房にはどれくらいいましたか? 独房には2ヵ月半いた。ある日、女性の看守長が来て、プラスチックのカップに入ったお茶を渡しながら、同房者が来ると告げた。これで“独房”ではなくなる、私の孤独は終わるのだと思った。 クリスチャンの女性が同房者になった。彼女が部屋に入ってきて、目隠しを外した途端、私は走り寄って抱きしめ、キスをした。いきなりこんなことをしてごめんなさい、と謝った。ほとほと自分が嫌になる。気をとり直して自己紹介し、ふたりで話し始めた。 翻訳:星薫子 『自白させるために小さな娘も「脅迫」される…自称医師に向精神薬を飲まされながら耐える恫喝に満ちたイラン刑務所での尋問』へ続く
ナルゲス・モハンマディ(イラン・イスラム共和国の人権活動家・ノーベル平和賞受賞者)
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