王林「母になってから青森県知事になりたい」 県知事からの「焼けた?」に感激した理由
絶妙な津軽弁と「東京が怖い」キャラクターで、すっかりお茶の間の市民権を得た。タレント、俳優、ソロアーティストと幅広く活躍している。一番の夢は「青森県知事になること」だという。なぜ、知事なのか。 【写真】キュートな笑顔に真剣なまなざしも。青森を語る王林さん * * * ■「青森のために頑張る」はぶれたくない 王林 グループ活動をしていたころはグループの目標が私自身の目標だったので、約2年前にグループを卒業したときに、一度、目標がなくなったんです。芸能界にそこまで執着があったわけでもないので、「私は何のために頑張ればいいんだろう」と思って、「青森のために頑張る」っていうところはぶれたくないと思って青森県知事になるという夢が生まれました。 ──元アイドルでタレントが、知事になる。ありえない話でない。現・青森県知事の宮下宗一郎氏とは、これまで何度も仕事をしている。 王林 ありがたいことに、知事と一緒に青森県の未来を語る、というお仕事をさせていただく機会があるんです。知事は私の思いを受け止めてくれますし、考えていることもたくさん話してくださる。知事に会う度に「青森はまだまだ可能性を秘めている」と刺激をもらいます。 田舎に住んでいる人たちは都会に住んでいる人たちに比べて、自分が住んでいる場所に自信を持っていない場合が多いと思うんですが、知事は「『できない』とは言わないようにしている。一度、『わかりました、やってみましょう』と言うようにしている」とおっしゃっていて、新しい挑戦に対してとても前向き。挑戦は青森県にたくさんあるすてきなところをなくさないことにもつながると思いますし、私自身も挑戦することによって背中を押されます。今、初めてのミュージカルの稽古中ですが、これも自分の中では大きな挑戦です。 ──宮下知事に言われてうれしかった言葉がある。
■「焼けた?」が一番うれしかった 王林 「焼けた?」と言われたことです。 「あの番組見たよ」とか「インスタ見たよ」もうれしいんですが、「焼けた?」と言われたことが一番うれしかったです。頻繁に会っていないと「焼けた」って気づかないでしょう。それほど、私のことを気にしてくれているんだなと思いました。 ──青森県知事になったら、達成したいことはあるのだろうか。 王林 いろいろなことを考えています。青森県は第1次産業が盛んで自給自足率が100%を超えていますが、後継者不足が問題になっています。後継者候補の世代がちょうど私の世代で、継ぐかどうか悩んでいる友達も多い。結局継ぐ人がいなくて、青森県の誇りであるりんご畑が減ってきています。だから、第1次産業に携わっている人たちを守ってあげられるような仕組みを作っていきたい。 知事にならなくてもできることはあると思うので、やれることからどんどんやっていきたいです。自分でも図々しいと思うのですが、知事にも「こういうことをやったほうがいいと思います」っていう提案をよくしています。知事は全部前向きに受け止めてくれるので、おかげでどんどん青森の新時代が築かれていく感覚を覚えます。 ■母親の視点から青森県を見たい ──現在26歳。20代のうちに成し遂げたいことは「結婚して子供を産むこと」。ここにも深い青森愛が込められている。 王林 母親の視点から青森県を見た意見を持ってから、知事になりたいんです。そうすれば、若者から見た青森県、他の場所を知った人から見た青森県に、母親から見た青森県という視点が加えられる。 結婚相手は外国の方がいいです。青森のことをあまり知らない人と一緒になって、青森のよさを知ってもらう。そうしたら、王林が気づいていなかった新たな青森県の魅力を教えてもらえるんじゃないかと思っています。いろいろな視点を持てば、もっと青森を良くするためのアイデアが浮かんでくる。 東京にいる時間も、できる限り青森県のためになるように使いたい。「東京はこんなことをしているんだ。じゃあ青森ではこういうことができるんじゃないか」っていうことをずっと考えています。 ――常に心に青森がある。たとえば、10億円もらったら東京に住んでもいい、とか、そんな条件はありますか。