袴田さん58年訴えた「無罪」なるか(下) 「あなたも当事者に」「姉弟の奇跡」。再審判決を前に、3人の思い
1963年に埼玉県狭山市で女子高生が殺害された事件で逮捕・起訴され、一審で死刑判決を受けた。1969年ごろから6年ほど袴田さんと東京拘置所で共に過ごした。確定しているか未決かに関係なく、死刑判決を受けた者は「四舎」2階に集められていた。当時は収容者同士、ある程度自由に交流できた。 袴田さんのことは「いわちゃん」と呼んでいて、互いの無実を信じ合う仲だった。事件の話を詳しくしなかったが、「俺も犯人にでっちあげられた」と言っていた。ずっとシャドーボクシングをしていて「外に出たらまたボクシングをやる」と口にしていた。運動場に出たらコンクリートの壁に向かってパンチして、手が真っ赤になっていた。すぐ無実が判明すると思って鍛えていたのだろう。 死刑囚は運動場などで知り合い、仲が良かった。刑務官は普段草履だが、執行を告げる時は革靴をはく。シーンと静まりかえったフロアにコツコツという音が響く。いわちゃんは刑が確定してから毎日、自分の部屋の前で足音が止まらないか不安だったと思う。
執行前、死刑囚は皆にあいさつした。「これから執行です。さようなら」「頑張ってね」と言われた時、強く握手したが何も返せなかった。1974年、わたしは控訴審判決で無期懲役となり、2階から別の場所へ移った。それまで何人も見送ったが、いわちゃんは、もっと多く見送っただろう。 2014年、静岡地裁決定で釈放されたいわちゃんに再会した。「石川さん、コロコロしていたよな」と言ってきた。会話が通じない時もあったが、久しぶりで感慨深かった。「石川さんのお父さんか」とも語りかけてきた。独房に両親の写真があったのを、見ていたのだろう。 自分もこんな年になった。1994年に仮釈放され、第3次再審請求中だが、時間があまり残されていない。いわちゃんが再審で無罪判決を受けたら、次は自分が無罪になる番だ。 ▽弟の生命力と姉の信じ抜く力が生んだ奇跡―ドキュメンタリー監督の笠井千晶さん(49) 静岡県のテレビ局記者だった2002年、支援者が開いた「記者レク」で袴田さんを知った。「無実を訴えながら、死刑執行を待ち、獄中で生きる人がいる」と衝撃を受けた。