高校教員と生徒がVRで遊んだら鳥取砂丘が「月面」になった話
第7回 テーマ
鳥取県が“宇宙産業”を始めるまでの物語(中編)
「前回のおさらい」生徒とVRで遊んだら宇宙ベンチャーと遭遇した話
生徒が受賞した美術展の引率中に一緒にVRで遊んで最新技術に興味を持ったところ、気づいたらVR×宇宙の事業を手がける宇宙ベンチャーCEOの田中克明さんらを鳥取に案内することに。鳥取で何か面白いことはできないかと模索している中でやってきたコロナ禍。ピンチはチャンス、観光庁「誘客多角化等のための魅力的な滞在コンテンツ造成」実証事業として、宇宙ベンチャーの田中さんや鳥取の各事業者が連盟で提案した「鳥取砂丘で夜の月面AR体験」プロジェクト、通称「月面極地探査実験A」が採用され事態は一気に動き出す。
「鳥取砂丘は月面に最も近い場所」日常と非日常の交差点
「なんだか鳥取砂丘って月面みたいですね」。宇宙ベンチャーCEOの田中さんを鳥取砂丘にお連れした時にボソッと言い放った言葉です。田中さんは宇宙エンターテイメントを手がけるamulapoという会社を新たに立ち上げ、同じくCEOを務めていました。そのamulapoや、体験デザインを手がける会社、地元のツアー会社、自治体、地元の有力マルシェ、そして私が所属していた私立高校などが連盟でやることになった事業が通称「月面極地探査実験A」です。鳥取砂丘を月面に見立てて、VRやARグラスを装着して自然環境にデジタルな構造物を融合させることで様々な体験を可能にするという取り組みです(詳しくは後述します)。 宇宙事業に関して、私自身まったくの無知だったのですが、学校外の事業者たちと動いて繰り返し話を聞いているうちに宇宙と鳥取砂丘がなぜ結びつこうとしているかの大きな物語が理解できるようになりました。 世界の宇宙産業は大きく3つのステージで進んできています。第一は1950~70年代の人工衛星打上、有人宇宙飛行、アポロ計画などの“Go To The Moon”の時代。第二は1980~90年代の通信衛星やGPS、ISS(国際宇宙ステーション)など宇宙に滞在して利用する”Stay In Space With ISS”の時代。そして第三が2000年代~現在に至るまで、スペースXなどの民間宇宙企業の進出や再び人類が月面の開発に挑むアルテミス計画などの”We Back To The Moon”の時代です。 2020年にNASAの発表で月に「水」があるかもしれないという発表があり、これは月に石油が見つかったのに近く、ロケット燃料や月面基地の維持に活用できることへの期待が一気に高まりました(地球からロケットを飛ばすより重力6分の1の月面から飛ばす方がエネルギー効率もとても良いらしい。言われてみれば確かに!)。 日本でも大手企業などが月面開発への意欲を次々に表明していますが、月面開発ともなると今までの小型ローバーどころではなく乗り物も大型化します。その時に、鳥取砂丘のような広大な砂地や傾斜のあるくぼみなどは自然の雄大な実験場としてとても魅力的なのだそうです(素人目には砂丘を見てもそんな発想は出てこないので衝撃です)。 いきなり「月面開発の実験場を鳥取砂丘に!」とはいきませんが、「鳥取砂丘が月面開発への扉になりうる」というアイデアのワクワク感を第一歩としてカタチにしようというのがこのプロジェクトの位置付けだったのです。