既婚者や子持ち女性にイライラ…SNSに不満ぶちまける独身OL、依存の背景に“生きづらさ”も
■世の“子持ち様”論争もSNSが要因?「やっぱり自分の意見は正しかった」の錯覚
依存症とは、特定の対象を繰り返すことで脳の回路がジワジワと壊れ、やがてコントロールが効かなくなる状態を言う。そして、広告を主な収入源とするSNSは、ユーザーに繰り返し利用させる=依存させるビジネスモデルとも言える。 「もちろんSNSにもうまく付き合えば有益な面はありますが、それはあらゆる依存症に言えること。ただ、SNSの功罪は、人々を歪んだ形で強く結びつけてしまったことだと思うんです。世の中にはいろんな意見の人がいますし、SNSのなかった時代には『そういう意見もあるんだな』と曖昧に受け止められていました。ところがSNSは、AIがユーザーの好みを把握した投稿をおすすめしてくるため、『やっぱり自分の意見は正しかった』と錯覚し、やがて違う意見の人を攻撃するようになる。議論が白熱したほうがプラットフォーム側としてはありがたいわけで、うまくできているなと思いますね」 もしかすると、本質を見誤らせた“子持ち様”論争も、SNSに踊らされていただけなのではないだろうか。 「私の子どもの小学校では、SNSのメカニズムと危険性についての指導がされています。SNSとメンタルヘルスの関係も研究が進んでいますし、生まれた時からSNSがある世代のほうが、意外と上手に付き合えているのかも? と感じます。むしろ、いきなり生活の中にSNSが飛び込んできた大人世代のほうが危ういのかもしれません」 ■行き過ぎた投稿で個人情報を晒され、退職…その末路は? 自分の投稿に「いいね」やコメントがついてうれしい気持ちになったことは、SNS利用者ならば誰しも多かれ少なかれ経験があるはず。SNS依存の主人公もまた、日常の鬱憤や既婚者を批判する投稿がバズり、そこに寄せられた共感コメントに震えるような喜びを体感する。だがそれもつかの間、行き過ぎた投稿により個人情報を晒され、退職に追い込まれてしまうのだ。 「リアルでは言えないこともつぶやけて、ストレス解消ができるのもSNSの効能の1つではあります。日常に生きづらさを感じている人はなおさら、SNSが心地よい居場所になりがち。相容れない意見があっても『自分は自分、他人は他人』という引いた目線を持てればいいんですが、この主人公の場合は『認められたい』という思いが強いがあまり、相手を攻撃するようになってしまいました」 人はどうあれ自分は自分。いわば自己肯定感が育まれるかどうかは、幼少期の親との関わりが大きいことも描かれる。主人公が誰かの「いいね」によってしか自分の存在価値を感じられないのは、幼少期に親の考える“いい子”を押し付けられたことが原因だった。 「子どもの頃に無条件で親に愛されたかどうか。愛着障害と依存症には、深い関係があると言われています」 SNSのバズをきっかけに、健康も社会的地位も失う主人公だが、ストーリーは完全なバッドエンドではなく、一縷の救済も描かれる。 「編集担当さんにはドSだと言われますが(笑)、深刻な事態に陥らないとなかなか依存症と向き合う決心ってつかないんですよね。また、依存症は完治はないと言われている病気なので、安易にハッピーエンドでは終わらせられませんでした。ただ、どんなにつまずいた人でも受け入れ、立ち直りをサポートする機関もこの社会にはあるということもお伝えしたかった。依存症に対する誤解や偏見をときたかったのも、この漫画を描くモチベーションでした」 (文:児玉澄子)