【イベントレポート】サモ・ハン、休みがなかった“黄金期”に「前世は牛かな?」香港映画の隆盛を願う
「おじいちゃんはデブゴン」の監督・アクション監督・主演を務めたサモ・ハンによるマスタークラスが、本日11月1日に東京・丸の内ピカデリーで行われた。 【画像】カンフーポーズを決めるサモ・ハン マフィアの抗争に巻き込まれた少女を救うため、認知症気味の退役軍人が封印していた“無敵の拳”を駆使して悪を退治するさまが描かれる「おじいちゃんはデブゴン」。同作の上映後に登壇したサモ・ハンは「こんにちは!」と日本語で挨拶し、観客から黄色い歓声を浴びた。 第37回東京国際映画祭のプログラムとして行われたマスタークラスは、サモ・ハンの足跡をたどる形で進行。まずはサモ・ハンが幼少期に出演した1962年の映画「岳飛出世」の映像が投影され、10歳で中国戯劇学院に入学した過去が紹介される。サモ・ハンは「ここで見得の切り方などをたたき込まれて、基本的な体の動きを作ることができました。卒業すればだいたいのことができるようになるんです」と振り返る。その後はスタントマンや武術指導にも携わり、「燃えよドラゴン」ではブルース・リーとも共演する。彼について尋ねられると、サモ・ハンは「彼が亡くなったときは香港のみならず、世界中で衝撃が走りましたよね。過ごした時間は長くなかったですが、彼の作品には多くの影響を受けていました」と語った。 そして1977年に「少林寺怒りの鉄拳」で監督デビューを果たし、1978年には「燃えよデブゴン」などアクションと笑いを融合した作品も作り上げていく。サモ・ハンは「『少林寺怒りの鉄拳』にも少し笑いの要素を入れていて、上映されたときに観客の反応を見たらすごくよかったんです」と回想。加えて「香港映画はそれまでほとんどが北京語で製作されていましたが、この作品は広東語で撮ると決めていたんです。その後は広東語を使った映画が主流になりましたね」とも思い返した。 続けて話題は監督作「燃えよデブゴン10 友情拳」に。同作で拳術の1つである詠春拳が描かれていることについて、サモ・ハンは「当時、ラウ・カーリョン監督は洪家拳を題材にした映画を多く撮っていました。自分としては同じものではなく、観客があまり観たことのない拳法の映画を作りたいと思っていたんです。詠春拳はもともと習っていましたので『これなら撮れるぞ』と。当時カンフー映画を撮っていた監督は、やっぱり違う武術をいろいろ撮ってみたいという思いがあったんです」とも打ち明けた。 その後、サモ・ハンは映像制作会社を設立。1980年には「妖術秘伝 鬼打鬼」を監督する。コメディとアクションにホラーの要素を加えた本作に、サモ・ハンは「『次は何を撮ろうか』と思ったとき、幼少期からお化けや妖怪が好きだったことを思い出して。最初は『絶対無理だよ』なんて周りから言われましたけど、ふたを開けてみたら『絶対成功すると思ってた』と(笑)」と話して笑いを誘う。“黄金時代”と言われた80年代を改めて振り返るサモ・ハンは「すごくいい時代でしたが、撮り終わったら『次どうしよう、何撮ろう』と考えてましたね。当時は若かったので『次に、次に』と動けた。幸いなことにすべてヒットしてくれましたね」とほほえむ。そして「休みはなかったですけれど、休むよりも映画を撮るほうが楽しかった。自分の前世は牛かな?と思うぐらい、常に畑を耕していないと気が済まなかったんです(笑)」とも表現した。 1998年にはハリウッドにも進出し、ドラマ「L.A.大捜査線 マーシャル・ロー」に主演したサモ・ハン。「オファーを受けてからけっこう悩んだんです」と告白する彼は「ハリウッドはアジア映画とは撮り方が異なり、俳優メインという考え方。一番苦労したのは英語でした。自分は話せませんでしたから、記者から『アメリカの人にしてほしいことはあるか?』と聞かれたら『中国語を話してくれ』とリクエストしたり」と懐かしむ。そして2010年に製作された「イップ・マン 葉問」ではドニー・イェンと共演。サモ・ハンは「ドニーとのアクション撮影は大変だとみんな言うけれど、僕はそうでもなかった。というのも、ドニーもうまいし、自分もうまいし(笑)。だから撮影が終わるのが早いんですよ」と冗談めかしてコメントした。 近年での撮影手法に話が及ぶと、サモ・ハンは「AIやCGを使って撮るのもいいけど、自分は使えないし、よくわからない。だから今でも体を張って、命懸けで戦ってもらうことになるんです」と口にする。香港映画界に期待することを聞かれると「また香港映画の隆盛を取り戻せるように、奇跡が起こってほしい。そのためには観客の皆さんに観に来てもらわないと、どんなにがんばっても輝きを取り戻せない」と言葉に力を込める。 最後にサモ・ハンは「なかなか観客と接して話す機会はないので、マスタークラスを開催できて、とてもうれしかった。もっと日本語ができたら……」と嘆きつつ「今後、新作ができたら応援してほしい。そんなにたくさんは観なくてもいいです。20回観てくれれば(笑)」と挨拶し、観客を和ませた。