誕生から90年 ロボット「学天則」が作られた理由とは
大阪市立科学館の入り口に復元したものを展示
誕生から90年 ロボット「学天則」が作られた理由とは 撮影・報告:柳曽文隆 THEPAGE大阪
大阪市立科学館(大阪市北区)の入り口付近で1時間に1回、幻想的な音楽が聞こえて来る。その音の方を見ると、笑っているような表情のロボットが、大きな机で何かを書くようなしぐさをしていた。しかし、まばたきをしたり目玉を動かしたりと、表情が豊かに見える。同科学館の関係者によると、これは90年前に作られたロボットを復元したもので、名前は「学天則(がくてんそく)」だという。 【拡大写真付き】大阪のガンダム世代ロボット研究者 世界最大級2足歩行ロボット公開
1928年の「大礼記念京都大博覧会」で公開
「学天則は、日本初のロボットと言われています。ただ、ロボットの定義はあいまいなので『一番最初』と言い切るのは難しいのですが」と話すのは、同科学館の主任学芸員、長谷川能三さん。この学天則を復元したメンバーの1人だ。 長谷川さんによると、学天則は1928年に大阪毎日新聞社の学芸部顧問を務めていた西村真琴さんがつくったもの。名前は「天の法則に学ぶ」という意味を持っている。同年開催された「大礼記念京都大博覧会」で公開されたのを皮切りに、その後各地で開催された博覧会で展示された後、1931年に東京方面で展示されたのを最後に、行方不明となってしまったという。 長谷川さんは「1920年に『ロボット』という言葉ができ、世界的にそういうブームがあった中で生まれ、学天則はアジアでは初めて生まれたロボットと伝えられています」と語る。
生物学者が「物事を新しく生み出すすばらしさ」を表現
しかし、長谷川さんが資料をみて驚いたのは、西村真琴さんはロボット工学などが専門ではなく、生物学者だったという点だ。 「西村さんは『人造人間がたくさんできて、人間の代わりに働き出したら、それで人間は幸せなのか』と疑問を覚え『私の作るロボットは働きません』と言っておられたようです。ただ『人間というのは物事を新しく生み出すというすばらしさがある。そういうものを表現したい』という思いから、学天則を作り出したと資料に残されています」
80年代に映画や雑誌に登場し脚光あびる
行方不明となり、長い間、歴史から消えていた学天則。しかし、1980年代に多くの人の目に触れる機会が訪れた。荒俣宏さんの小説「帝都物語」を原作とする映画に登場。そして、西村真琴さんの役を、実子である俳優の西村晃さんが演じた。このほか、ロボット関係の雑誌にも取り上げられたという。 ちょうどその時、同科学館で放映する映像を制作する際、制作会社から「映像の案内役に学天則を使ったらどうか」という提案があり採用。撮影用に模型も作り、それを館内で展示していた。 しかし「どうせ展示するなら、細部まで復元して動きのあるものを」という方針で、2008年の同館展示改装後の展示に向け、復元プロジェクトが発足した。