「OK牧場の決闘」でも使われた傑作拳銃【壱番形元折式拳銃】
かつて一国の軍事力の規模を示す単位として「小銃〇万挺」という言葉が用いられたように、拳銃、小銃、機関銃といった基本的な小火器を国産で賄えるかどうかが、その国が一流国であるか否かの指標でもあった。ゆえに明治維新以降、欧米列強に「追いつけ追い越せ」を目指していた日本は、これら小火器の完全な国産化に力を注いだのだった。 明治維新後の1872年、日本政府は新生の陸軍と海軍のために、国内にある小火器類から制式小銃を選び出した。続いて1875年には、補助の小火器類も選び出したが、このときに制式拳銃のひとつとされたのが、アメリカの名門銃器メーカーであるスミス・アンド・ウェッソン社が製造したNo.3モデル・シリーズであった。本銃を「壱番形元折式拳銃」として制式化したのだ。 No.3モデルは、1870年にアメリカ陸軍の制式拳銃トライアルに提出され、のちに有名になるコルト・シングルアクション・アーミー(別名はピースメーカーなど)とその採用を競った。そして1874年に同モデルの1バリエーションであるスコフィールド・モデルがアメリカ陸軍の仮制式とされた。 リヴォルヴァーで6連発、撃つたびに射手自らがハンマーをコックするシングル・アクション。トップブレイクの中折式で、シリンダー内の6発を一気に排莢(はいきょう)できるエジェクターを備えており、銃身を握って振り回せば、格闘時の打撃用にも使える。 しかしスコフィールド・モデルに使用する.45S&W弾は、当時、すでにアメリカ陸軍が大量に保有していた.45ロング・コルト弾よりも全長が短く、コルト・シングルアクション・アーミーのシリンダーには.45S&W弾を装填して発射可能だが、スコフィールド・モデルには.45ロング・コルト弾は長すぎて装填できなかった。さらに、コルト・シングルアクション・アーミーがあまりにも堅牢(けんろう)すぎたことなどにより、本銃はアメリカ軍の制式拳銃には選ばれなかった。 その代わり、帝政ロシアのアレクセイ・アレクサンドロヴィッチ大公の訪米時に催されたバッファロー狩りで、No.3モデルを使用した同大公は大いに気に入り、帝政ロシア軍用のモデルがロシアン・モデルの通称で同国に大量に納品されている。 また、1881年10月26日にアリゾナ州トゥームストーンのOK牧場で戦われた決闘において、かのワイアット・アープがNo.3モデルを使用したことでも知られる。 第2次大戦中、イギリス軍はダブル・アクション機構こそ備えていたものの、No.3モデルと同じ6連発でトップブレイクのウェブリー・リヴォルヴァーを制式採用していた。そして日本軍の戦時下における拳銃の使用環境を考えてみると、シンプルなメカニズムで泥濘(ぬかるみ)や砂塵(さじん)による汚れに強く、重量のある大直径の弾薬が使われているので近距離でのマン・ストッピングパワーに秀でたNo.3モデルは、19世紀後半に設計された旧式拳銃ながら、のちに出現する弱威力の8mm南部弾を使用する国産の各種オートマチックより、威力も信頼性もともに上だったかもしれないといったら、かいかぶりだろうか。
白石 光