もう見たくない…。 アーセナルで嫌われすぎた選手6人。まさか…。サポーターを激怒させた男たち
DF:アシュリー・コール(現役引退) 生年月日:1980年12月20日 アーセナル通算成績:228試合9得点23アシスト 今でこそチェルシーのレジェンドと位置付けられているアシュリー・コールは元々アーセナルの選手だった。アーセナルから宿敵チェルシーに移籍したことで「裏切り者」と批判の声も多くあがった。 2001/02シーズンに出場機会を増やすと、同シーズンのプレミアリーグとFAカップの2冠や2003/04シーズンのリーグ無敗優勝など多くのタイトル獲得に貢献。若くしてアーセナルの黄金期を支えた世界屈指の左SBとして評価を高め、2002/03シーズンからは3季連続でPFA年間ベストイレブンに選出された。 しかし、アーセナルで順風満帆なキャリアを歩むかと思われた矢先の2005年1月、コールがクラブに無断でチェルシーと移籍に関して会談を行ったと海外メディアから報じられた。当然ながらライバルクラブとの会談はサポーターの怒りを買うものであり、ロマン・アブラモビッチオーナーの下で豊富な資金力を生かした補強を行っていたチェルシーへの移籍の噂から「Ca$hley Cole(キャシュリー・コール)」と皮肉を交じりのあだ名がつけられた。 結果的にコールは2006年夏にチェルシーへと移籍。引退後、コールは“禁断の移籍”の理由を「勝利への意欲のためだった」と言及。あくまでもお金は最後の最後に決まったものだったそうだ。理由がなんであれ、クラブ生え抜きの主力選手がライバルクラブへと移籍することはサポーターが許すはずがなく、今でも語り継がれる裏切り行為だ。
MF:セスク・ファブレガス(元スペイン代表) 生年月日:1978年5月4日 アーセナル通算成績:303試合57得点95アシスト バルセロナの下部組織出身だったセスク・ファブレガスは2003年にアーセナルへ加入した。アーセナルでは通算303試合に出場し、57得点95アシストを記録。2008年11月からは、クラブ史上2番目の若さでキャプテンに就任となった。 本人の希望もあり、2011年夏に古巣のバルセロナへ復帰。アーセナル時代から愛着のある背番号4もつけ、バルセロナ移籍後も「イングランドに戻るならアーセナル」と発言していた。ここまでは良かったが、次の移籍先がアーセナルファンの反感を買うことになってしまった。 上記のような発言をしたにも関わらず、2014年6月にアーセナルの宿敵であるチェルシーへ移籍。SNSでセスクのアーセナル時代のユニフォームを燃やす映像が公開されるほど、ファンはこの移籍が許せなかったようだ。なお、アーセナルではプレミアリーグ優勝を果たせなかったが、チェルシーでは2度経験している。 2017年2月に行われたアーセナル戦でゴールを決めた際は、セレブレーションを控える一面を見せるも、宿敵への移籍という裏切り行為は今でもアーセナルファンの記憶に残っていることだろう。