地震直前、受験生の孫励ます 77歳の母犠牲「親孝行したかった」叶わなかった家族旅行
元日の能登半島地震で倒壊した自宅の下敷きになり、亡くなった石川県輪島市河井町の田上嘉子(たがみよしこ)さん(77)は優しい人柄で周囲に慕われていた。「頑張るましや(頑張りなさいよ)」。高校受験を控える双子の孫に、この地域の方言でこう励ましたのは地震直前のこと。あれから半年。2人は無事に志望校に進んだが、親子3代、家族旅行の計画はもうかなわない。 【写真】地震で1階部分がつぶれた田上嘉子さんの自宅 輪島のおばあちゃん-。長男の宏樹さん(56)によれば、今春高校生になった宏樹さんの双子の息子と娘は、祖母の嘉子さんのことをこう呼んでいた。2人は学校から帰るとほぼ毎日、観光名所となっていた「朝市通り」近くに一人で暮らす嘉子さん宅に立ち寄り、仕事あがりで親が迎えに来るまで、一緒に過ごした。 嘉子さんが振る舞ってくれた手料理の中でも、2人が大好きだったのがカレー。宏樹さんの妻、香織さん(49)は「お義母さんは掃除も料理も完璧だった。なかなか同じようにはできない」としのぶ。 昨年の大みそかから元日にかけ、嘉子さん宅で過ごしていた宏樹さん一家。一緒にテレビを見て過ごし、嘉子さんが手作りしたおせちと雑煮を食べた。年が明ければいよいよ高校受験が迫る孫2人に、嘉子さんは「頑張るましや」と優しく声をかけた。 一家が帰宅のため嘉子さん宅を出たのが元日の午前11時ごろ。地震はその約5時間後だった。宏樹さんらの住む輪島市三井町も大きな揺れに襲われ一帯が停電、一時孤立状態となった。携帯電話も通じず、嘉子さんとも連絡が取れなかった。 孤立状態が解消した午後8時ごろ、宏樹さんは嘉子さんの様子を見に行くため、軽トラックに乗って真っ暗な悪路を進んだ。嘉子さん宅に近づくに連れ、大規模火災で赤くなった空が見え、不安が膨らんだ。 ようやく着いた嘉子さん宅は、延焼を免れていたものの、地震の揺れで1階が押しつぶされていた。正面から入れず、裏側の車庫からガラスを割って中へ。「母ちゃん、母ちゃん!」。呼びかけに返事はなかった。 倒れかかったたんすなどを動かし、2階から落下した畳をめくると、その下に嘉子さんの姿があった。脈をとろうとした腕は、すでに冷たくなっていた。