長崎出身の山崎賢人 自転車競技の最高峰で王者 「代表引退」懸けたレースで金…「まだピークは先」
自転車競技の最高峰、世界選手権(2024年10月・デンマーク)の男子ケイリンを制した山崎賢人(31)=日本競輪選手会、長崎県諫早市出身=。国際大会で自身初の金メダルは、日本勢として37年ぶりの快挙でもあった。「日本チームのみんなが自分のことのように喜んでくれて。これまでの多くの支えにメダルという形で応えられて本当にうれしかった」 前年覇者ら世界の強豪が顔をそろえた決勝。レースは残り3周で動き出す。3、4番手の位置で最終周に入り、外側から一気に仕掛けた。残り半周で先頭を捉え、気力を振り絞る。時速70キロ近いスピードの中で「周りもしっかり見えていた。勝ったと分かった」。冷静にフィニッシュラインを駆け抜けた。「仕掛けるタイミングを逃さなかったこと」を勝因に挙げた。 19年からナショナルチームに入り、世界と戦ってきた。だが、思うように結果が出ず、焦りだけが募る。目標にしていたパリ五輪は補欠止まり。今回の世界選手権は「メダルを取れなかったら代表は引退」と覚悟を決めての挑戦だった。 型破りな挑戦 諫早市立森山中、長崎日大高、日大時代はバレーボール部に所属。大学3年の年末に転機が訪れた。競輪場でその年の王者を決めるグランプリレースを観戦。華やかな空間を駆ける選手の姿に目を奪われた。「それまでは車券買って、やじを飛ばしてるだけだったんですけど」。ちょうど就職活動の時期。「これしかない」 ただ、思い付きの行動のため、選手になる方法が分からない。そこで地元の日本競輪選手会長崎支部の電話を鳴らした。「選手になりたいんですが…」。大学卒業後、諫早市で活動する練習グループを紹介してもらい、体一つで飛び込んだ。後に関係者に聞いたところ、前例のない入り方だったという。 練習グループには、04年アテネ五輪自転車男子チームスプリント銀メダリストの井上昌己=長崎市出身=らがいて、型破りな後輩をかわいがってくれた。競輪学校の入学試験は「“一回だけ”だと自分を追い込んで」。持ち前の身体能力を生かして一発合格を決めた。 目の前に全力 デビューして7年。競輪と自転車競技、負荷のかけ方など異なる練習メニューをこなし、両立させてきた。30歳を超えた今、思う。「なんか強くなっている実感がある。まだまだピークは先かな」と。今回の世界選手権で金メダルを手にし、世界への挑戦を続ける決意が固まった。 4年後のロサンゼルス五輪については「先のことはまだ考えられない。選考時期にいい状態であればもちろん目指したい」と地に足をつけ、前に進む。まずは目の前の一つ一つの大会に全力を尽くす。大学生の時にあこがれた競輪のグランプリレース制覇もかなえたい夢の一つだ。