処分覚悟で運転ボランティア 悩む宮城の先生たち
毛細血管に血が通わなくなるように、過疎地では公共交通機関が減りつつある。ひときわ進んでいるのは津波被害を受けた宮城県の被災地だろう。県北部の海岸沿いでは鉄道が廃止となり、鉄路の上をバスが走るBRTが代わっている。浮上したのは高校の部活動をめぐる不条理だ。BRTはゆっくり走る。生徒が早朝に家を出ても、試合や大会に間に合わない。そんなとき、先生の自家用車が駆り出される――生徒を車に乗せ、運転ボランティアを務めるのだ。だが、県教委は「それはだめです」とぴしゃり。「事故をすると処分」とも明言する。なすすべがないからやっているのに、一つ間違うと処分とは……一体どうするべきか、先生の悩みは深い。
仙台まで片道4時間
県の北端、気仙沼市の高校の先生はこう訴える。 「生徒が公共交通機関だけで大会の会場まで移動できるのが理想ですが、現実にはとてもじゃないですが無理です」 もともと公共交通機関が乏しかったが、東日本大震災の津波でそれらも流されてしまった。仙台へ直通していたJR気仙沼線はバス高速輸送システム(BRT)に置き換わり、直通便はない。仙台まで片道4時間もかかるようになってしまった。 「公共交通機関の移動が難しければ運転手付きのバスをチャーターするように県教委は指導しています。野球部のような大人数の部活動でしたらそれはできますが、卓球やテニスなど、少人数のところはどうしたらいいのでしょうか。結局生徒と一緒に車で移動するしかありません」 当然ながら、部の予算は限られている。県大会への出場者が2、3人しかいないのに、バスを借り上げるなんて不可能に近い。 必然的に、顧問の先生が生徒と一緒に車で会場に向かうことが普通に行われている。先生はボランティア運転手というわけだ。
被災者に負担はかけられない
津波で甚大な被害を受けた南三陸町にある志津川高校。教諭の一人が話す。 「震災以降、保護者による送迎や、バイクによる通学が増えました。町のカタチが変わってしまったのですから無理もないでしょう」 震災前は海沿いや谷間といった低地に人が多く住んでいたが、津波で流されてしまった。その後、南三陸町が掲げたのが場所と働く場所を分ける「職住分離」。住宅だけは安全な高台に移そう、という構想なのだが、これが公共交通機関による通学を難しくした。家からいったん低地に下りてBRTに乗り、志津川駅で降りて高台の学校に登る。つまり、家から坂を下りるという行程が加わったからだ。 「通学に時間がかかるようになったため、公共交通機関で通う人が減ったのです」 震災後、学年当たりのクラス数は1つ減り3学級に。入学定員は満たしていない。 さらに厄介なのは部活動だ。 部活動の際、生徒が遠方へバイクで行くことは認められていない。そのため仙台や石巻で大会がある時には保護者による送迎が頼りの綱となっている。南三陸町からBRTと鉄道を乗り継いで仙台駅に行くと、所要時間は約2時間半。仙台行きの高速バスは1日3本しかなく、始発に乗っても仙台駅に着くのは10時半過ぎになる。さらに仙台駅から会場までの移動時間もある。これに対し、車だと会場まで1時間半弱で着いてしまう。 だが、保護者の送迎にも限界はある。特に海岸部には震災によって経済状況が悪化し、共働きを強いられている家庭も多い。先の教諭はこう明かす。 「公共交通機関での移動が現実的ではないので、結局保護者の同意の上、ということで顧問の車によって送迎するしかないですね。親御さんの車によって送迎してもらうのが一番いいんでしょうけど、ご家庭にばかり負担を強いるわけにもいきません」 志津川高をはじめ、宮城県内には入学時に保護者から「お子さんを先生の車に乗せることがありますけどいいですか」という同意書を取っている学校もある。教員の車による生徒の送迎なしには、学校運営そのものが成り立たない実態がそこにある。