佐野元春、浜田省吾、中島みゆき、サザン...音楽評論家・田家秀樹&スージー鈴木が語り継ぐ「80年代に格闘した挑戦者たち」
スージー 昔、ブルーハーツの真島昌利がコンサートで中原中也をプリントしたTシャツを着てたんですよ。僕は当時、中原中也っていう詩人のことも知らなかったから、ブルーハーツの言葉も知的に感じてました。曲を聞いた後に本で勉強したいと思わせてくれた。自分の年齢もあったんでしょうけど、佐野元春やブルーハーツの音楽には知的好奇心に訴えかけるものがありましたね。 田家 スージーさんの自伝的小説『弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる』の書名も、ブルーハーツ「TRAIN-TRAIN」(1988)の歌詞からですよね。 スージー 昔、僕がカラオケで歌っていたのを母親が聞いて、「大阪みたいなもんや」って言ったんですよ。 田家 フレーズだけでも伝わるものはちゃんと伝わるっていう見事な例でしょうね。 スージー 「TRAIN-TRAIN」はヒットしましたけども、おそろしく知的で、今の世の中のことを語っている感じがしますね。 田家 その後の「情熱の薔薇」(1990)のほうがもっと売れてますよね。「TRAIN-TRAIN」と「情熱の薔薇」は、アーティストの一番コアなものと売れているもの、ピュアなものと世の中に広がっているものの違いを象徴していますよね。 ■浜田省吾、尾崎豊の「暑苦しさ」 ーー田家さんが80年代を象徴するアーティストを挙げるとすれば誰ですか? 田家 一番たくさんインタビューしたっていう意味では浜田省吾さんかな。 スージー 田家さんが本で紹介している、「メッセージソングで戦争が終わるんですか?」という質問に、浜田省吾が「じゃあ失恋ソングを歌えば去っていった彼女が戻ってくるんですか?」と返したっていう話は最高ですよね。言いも言ったり、浜田省吾! 田家 音楽ってそういうもんでしょっていうね。僕自身の生き方、音楽の聞き方も変えてくれたし、あの人がいなかったらこうなってないっていう意味では浜田さんかな。 スージー 浜田省吾という人は純粋無垢で自由だったんですかね。 田家 あんなに誠実に生きて、誠実に音楽をやっている人は他に思い当たらないかもしれない。みんなそれぞれの誠実さがあるんでしょうけど。 スージー 同感ですね。僕は吉田拓郎と同時に、浜田省吾もちょっと暑苦しくて敬遠してたんですよ。でも、今は大好きになっていて。昨年5月に劇場公開された映画『A PLACE IN THE SUN at 渚園 Summer of 1988』を見てびっくりしましたね。うまい下手とかじゃなくて、あれだけの爆発的な声量で歌いまくってたんだって。よく島津亜矢は「歌怪獣」っていわれますけど、「声怪獣」だと思いました。すごいな、このフィジカルって。 田家 アハハハ。今でも声は変わらないんですよ。 スージー すごいですよね。 田家 スージーさんが敬遠してたのは理由があるわけですよね。あんまり自分で触れられたくないところを触れられたとか、自分の知らないことを見せつけられたとか、自分のイヤな面を歌われてるとか。これは聞きたくないっていう苦しさがあったのかな。