寝たきり社長の働き方改革(6)「寝たきり社長」が社長になった日
会社を作る、ということは決まった。 それは今までの自分の世界を飛び出すことと同じことだった。筆者はこれまで福祉の世界でずっと生活をしてきた。会社を作るということは、自分たちで仕事を取り、社会の一員として活動していくということだ。社長になるということには、当然、大きな責任も伴うし、会社を運営していくなどということは簡単なこととは思えない。 寝たきり社長の働き方改革(2)人工呼吸器が与えてくれた人生の“延長戦”
そもそも、どのように会社を作ればいいのかも分からないし、どのように運営していけばいいのかも、この時点では分からなかった。だが、はっきりとした目標ができたことが嬉しく、すぐに行動を起こした。この時、筆者は18歳だった。 まず、会社を設立するにはどのような手順が必要なのか調べることから始めた。その中で様々なことが分かったが、調べれば調べるほど、正直、不安になっていく。「定款」や「事業計画書」「法人口座」など、聞いたこともない単語が飛び交っているし、起業する以上、それらは当然理解した上でクリアしていかなければならないのだ。 しかし、事業内容だけは決まっていた。それは名刺やウェブサイトのデザインを請け負うというものだ。松元は子供の頃からデザインのセンスに長けていたので、そこで勝負していくつもりでいた。また、ITやデザインという事業領域であれば起業といっても大きな初期投資は必要ないと考えた。 親たちはここで「少しくらいお金を出してあげようか」と聞いてきた。正直、有り難いとは思ったが、松元と色々と話し合い、自分たちの力で会社を起こそうということになった。最低限の費用を捻出するために「自分たちの特技をお金に換える発想」に出てみた。 松元は、筆者の親戚が営んでいる洋菓子店のウェブサイト制作を格安で請け負った。子供のころから作文コンクールで入賞することが多かった筆者は、賞金の出るエッセイコンテストに応募した。高校を卒業してから1年の準備期間が過ぎたころ、ようやく会社設立に必要な最低限の費用、数十万円という金額を自分たちの力で稼いだ。 そして、ついにその日を迎えた。 2011年5月中旬、筆者の自宅の電話が鳴った。筆者の耳元に母が受話器を近づけてくれた。法人登記の手続き代行を依頼していた税理士さんの声だった。 「佐藤さん、法務局で登記が無事受理されました」 仙拓がこの世に産声をあげた瞬間だった。