センバツ高校野球 大垣日大 「部員は俺の子」信念に 阪口監督(78) 名将の苦き原点 /岐阜
前任校を含めて監督歴は56年を数え、記録が残る限りで最高齢の甲子園監督。第95回記念選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高野連主催)に出場した大垣日大の阪口慶三監督(78)だ。甲子園での通算勝利数は39。18日の初戦で40勝の大台に乗せることはかなわず、悔しさをにじませたが、強豪相手の好ゲームに手応えを感じたようだった。これまでも数々の名勝負を繰り広げ、センバツ優勝も果たした名将の原点は「思い出すのも嫌」と語る経験だった。【黒詰拓也】 ◇前任部で不祥事、猛練習で選手鼓舞 阪口監督が前任の東邦(愛知)の監督を務め、8年が経過した1975年の初夏、部員間での暴力行為が発覚したのだ。日本学生野球協会からは1年間の対外試合禁止の処分が下された。阪口監督は「えらいショックだった」と、顔をしかめながら当時を振り返る。 この処分により、部から離れる選手もいた。自ら身を引くことも考えたが「3年間見守り、夢の甲子園に連れて行くのが自分の仕事。自分を信じて残ってくれた部員もいる。ここで身を引くのは、ひきょう者だ」と、以前にも増して猛練習に取り組んだ。 その姿は「鬼の阪口」と称されたが「お前たちは俺の子ども。俺の子どもなら強い子に決まっている」と選手たちを励ました。現在まで続く阪口監督の信念だ。一方で、部員は家族との思いから合宿先に自分の妻と幼い子どもを同行させた。練習後には部員たちを映画館やお好み焼き店に連れて行くなどかわいがった。 不祥事の当時1年生で、後に社会人野球のJR東海監督やNHKの高校野球解説者を務めた捕手の大矢正成さん(63)は「練習試合すらできず、奈落の底に落ちたが、阪口先生の情熱は全く冷めていなかった。練習は相当厳しかったが、野球以外のことでも親身に寄り添ってくれた」と振り返る。 処分解除翌年の77年。3年になった大矢さんと「バンビ」の愛称で親しまれた1年生投手の坂本佳一さん(61)のバッテリーで夏の甲子園出場をもぎ取り、準優勝。89年春にはセンバツ制覇を成し遂げた。 2005年に大垣日大の監督に就任後も部員たちには「親」のつもりで接し、練習が終われば、部員たちとグラウンド近くの川で小魚を探して遊ぶこともある。日比野翔太主将(3年)は「阪口先生は心の距離を縮めながら、僕たちが勝つために力を尽くしてくれる。先生を日本一の男にしたい」と意気込んでいた。 迎えた18日の初戦。阪口監督は試合前のシートノックで、バットを握った。昨年のセンバツメンバーでスタンドから観戦した森下大地さん(18)は「(阪口監督のノックは)試合では初めて見た。まだまだ阪口先生も頑張っているとうれしくなった」と話す。 采配もさえ渡った。3点をリードされて迎えた六回表。阪口監督は代打に日比野主将を送った。日比野主将は相手投手を捉え、センター前にはじき返し、この回2点を奪う足がかりになった。相手投手の球筋から代打を送ったという。 阪口監督は5月で79歳。試合後には「この年になってもベンチに入るとシャキッとする。ここは私の人生そのものだ」と話した。 「勝って反省、負けて反省。『負けない野球』を覚えるまで、監督を続けるだろうなあ」。夏に向け、人生をかけて育てた「強い子」たちとの夢は続く。