小林幸子が60年間の歌手活動を経てもなお、新たな試みに挑戦するわけとは...?
小林幸子が、演歌・歌謡曲情報バラエティ番組「宮本隆治の歌謡ポップス☆一番星」の11月8日(金)放送回に出演する。 【写真を見る】「宮本隆治の歌謡ポップス☆一番星」に出演する小林幸子 本番組は、フリーアナウンサーの宮本隆治が司会を務め、相田翔子をアシスタントに、毎回ゲストを迎えてこれまでの軌跡を振り返ったり、最近の活動についてトークを行う内容で、フルコーラスでの楽曲歌唱も目玉となっている。 収録を終えたばかりの小林幸子に現在の活動や番組で共演した宮本隆治とのエピソードなどを語ってもらった。 ――番組で披露された「千本桜」と「青空の破片」について一言ずつお願いいたします 「『青空の破片(かけら)』は松岡充さんが「愛の讃歌」に新たな訳詞しています。社会情勢も考えて今聞くとレコーディングの時よりもっと深いですね。今は大変な人がいっぱいいるけど、曇っていてもその上は絶対青空だから、それを目指して頑張ろうね、と思っています。『千本桜』は、初音ミクちゃんの代表曲の中でも、老若男女みんなが知っている曲です。私のステージやのど自慢でも歌ったんですけど、年齢関係なくみんながノってくれます。『千本桜』は本来は初音ミクちゃんの曲で、カバーとして歌い紅白でも歌ったので、私の歌だと思ってくださる方がいて、すごくありがたいと思っています」 ――宮本隆治さんとはNHK時代からずっといろんなところでお仕事されていますが、いかかですか? 「さっちゃんと隆ちゃんの仲ですから(笑)。メル友だし、どんな話題でも、私がこう答えるだろうな、とわかって話を振ってくれます。本当に上手だから。2人の世界や掛け合いを楽しんでもらえると嬉しいです。隆ちゃんは、手紙やメールをくれたり、楽屋にお菓子置いてくれたり、マメなの!『本当にほんのいつもの気持ち1,000分の1ぐらいの気持ちで申し訳ございません!!召し上がってください!!!』とかオチがついてるから隆ちゃんは面白くて、とってもいい人ですよ」 ――今年の活動を振り返っていかがですか? 「1964年の東京五輪のあった年に10歳で歌手デビューして、歌手活動期間に2回の東京五輪を経験しているので、すごい長さだなと感じています。10歳でデビューして、歌以外のことはお仕事としてしかやったことがなかったんです。YouTubeチャンネルがリニューアルして3年目に入るのですが、初めてのアルバイトや、今までやったことのないいろんなことをやらせてもらっていて、とても楽しいです。YouTubeをやってみて、『小林幸子って本当はこんなキャラだったの?』っていう方がすごく多いんですね。私=演歌というイメージが強いから、『こんなに面白い人なんだ!』と思ってくれて、おかげさまで登録者も増えてきて嬉しいです。人に喜んでもらうには、自分が一番楽しまないと駄目ですからね」 ――YoutuBBAとして活動をする前から、ネットで活躍されていましたが、ニコニコ生放送で視聴者からダイレクトな反応が見れるのはいかがでした? 「初めてニコニコ生放送に出演したときは驚きました!視聴者のコメントが出るなんて知らないから!収録時、モニターに私の歌が流れたら、『本物だー!』『歌うめえ!』ってコメントが出てきて、ありがとうねって言ったの。そしたら『どういたしまして』『とんでもございません!』ってコメントが出てくる。これは面白いなと思って、そこからニコニコ動画との付き合いが始まりました。ニコニコ動画では視聴者が私のことを『ラスボス』って呼んでいて、司会の人が『すいません。リスナーから"ラスボス"って呼んでもよろしいですか?』って聞かれたから、私は意味がわからないまま『どうぞ』って言ったの。次の日歩いていたら指を指して『ラスボスが生きてる!』って言われて、何が起きたんだろうと思って、どういうことだか聞いたら、ゲームの最後に出てくるのがラスボスだって言うじゃありませんか。当時は驚きましたけど今は慣れましたね」 ――60年前にデビューした頃から幸子さんの中でずっと変わらなかったことや気持ちはどんなことがありますか? 「"歌が好き"がぶれなかった。やめようかなと思ったことは何回もありますけど、やめた自分と大変だけど今の自分と、どっちを取ると言ったらやっぱり今の自分をずっと取り続けてきた。"好き"があれば別に歌の世界でもなくても同じだと思います。すごい仕事が好きで入ったなら、どんなことも我慢できるし、どんなことがあっても何とかしなきゃって跳ね除けていけると思うんです。デビューから15年間次の曲が売れるか売れないか誰にもわからない状態で頑張っていました。おもいで酒に巡り合って、本当にやめなくて良かったんだなと」 ――なぜそこまで好きになれたのでしょうか? 「自分が好きなものを職業としてやれている人って、ほとんどいないですよね。でも、それを職業と生業にもさせてもらっているということを幸せだと思わなくちゃ、本当に罰が当たると。好きな歌を歌って歌手になれたくせにやめるなんて、とんでもない!と思ってたの。新潟から東京に出てくるときに、全校生徒の前で歌って、行ってきます!と言ったら、校長先生はじめ同級生みんなから『頑張ってね!立派な歌手になってね!』って言われたんです。あれは忘れられないです。そして、子供ながらに成功して帰ってこなくちゃ!とも思いました」 ――新曲「オシャンティ・マイティガール」は色んな要素が盛り込まれた曲ですが、いかがでしょうか? 「作曲家の方もよくあんな曲を作りましたよね!結構お付き合いの長い方で私から作って、と頼んだんですが、デモテープを聞いて...ふざけてるの?と思って(笑)。コミックソングかと最初は思ったんですが、もう1回聞いたら、コミックソングでも何でもなくて、歌の裏側にある深い"愛"のメッセージソングなんだと。それでいて、4ビートが入ってたり、K-POPっぽいものがあったり、昭和のメロディが入ったり、すごい曲なの。作曲家の方から『幸子さんじゃなきゃ歌えないでしょ』って。『本当に長い間いろんな歌を聞いて、歌ってきたから、だから幸子さんのためにこうやって作ったんですよ』って、そういうふうに言われたら私だってね、嬉しいじゃない(笑)」 ――ギャル姿「さちぴ☆」でDJにも初挑戦されましたが、やったことのないことに挑戦するときの心構えなどはありますか? 「自分の中では面白いなと思うから、やったことがないことをやるわけですよ。馬鹿馬鹿しいことを本気でやらなきゃダメなんだって。紅白の衣装もそうですね。みんなから『歌と全然関係ないじゃん』と言われたりするんだけど、真剣に本気で馬鹿馬鹿しいことを一生懸命やる。一緒に作るチームのみんなも同じなんですよ。青春ですよね、みんなすごい好きですね」 ――60周年を迎えた今の小林さんを古賀先生がご覧になったらどんなふうに思われると思いますか? 「『何やってんだこの野郎』って怒られるのかなと思いましたけど、たぶん『よかったね』って言ってくださると思います。先生には1回も怒られたことなくて。だから、先生に『よかったね。よう頑張ったね』と言ってもらえたらいいなって(笑)」 ――60周年記念公演の中では「おもいで酒」を歌われていましたが、45年間経って歌に対する思いは変わりますか? 「もちろん同じ気持ちで歌っていますけど、私も聞いている人も45年の経過があるわけで...変わりますよね。音色も変わっていくだろうし、聞いてる人自身も人生が変わっていけば、同じ歌を聞いても、思いは変わると思います。それでいいと思います。同じ歌は2度と歌えないですしね」 ――これからの幸子さんはどんなふうになりますか? 「いつまで歌えるかわかりません。でも、おかげさまで声も出るし、声が続く限り歌い続けていきたいな。あと、何をしたいってこの10年考えたことないんです。何をするとか目標はなく、今、目の前にある仕事を一生懸命やっているんです。そうするととんでもない話をもらうんです。これがまた面白い話が来るんですよ。うちのスタッフが、『小林は楽しんでやるんだろうな』という話は絶対に漏らさないみたいなところありますから(笑)」 文=HOMINIS編集部
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