「東大合格してもやりたいことが見つからない」現役東大生が語る、受験教育だけでは“幸せ”になれない理由
受験教育だけでは、ダメだと気づいた
東郷:多くの子ども達が、今の日本で主流になっている受験教育を受けて育っています。僕もご多分に漏れず、そうだったんですけど。 受験教育って、他者と比較した「相対評価の教育」ですよね。算国理社という、社会に与えられた軸に基づいて、自分の評価が決定してしまう教育。 しかも、「100点を取れたら良い」というわけではない。「まわりが100点なら、100点を取りましょう」という考えなので、たとえ90点を取れても、まわりが100点ならば、その価値は薄れてしまう。全然自分基準ではない教育だなと思っていたんです。 もちろん、それはそれで意味があるものだと思うのですが、「受験教育だけではダメなんじゃないか」というのが、僕たちの考えです。 すみれ:どうして、受験教育だけではダメだと思われるのですか? 東郷:僕は2歳頃から、幼児教室に通わせてもらっていました。中学受験もさせてもらったので、小学生の頃から塾通いだったんです。ずっと算国理社で測られてきて、それをまわりと比べながら、自分の価値を見つけていた人間でした。 受験教育の中に長くいると、それがスタンダードになりますよね。でも、実は子どもって、「自分はこれをしたい」という、他者と比較せずとも、自分を誇れる部分があると思うんです。 例えば、息子さんが今「時計のことを知りたい」と思っているのは、まわりのみんなが時計のことを知りたいから、そう言っているわけではないですよね。 でも、受験教育だけをやっていると、「自分が何を学びたいか」よりも「まわりとの比較の評価」が大きな軸になってしまう。その結果、「自分が何をしたいか」という気持ちがどんどん小さくなっていって、いつの間にか、興味の芽もなくなってしまうのではないか……と思っています。だから、受験教育だけで幸せになれるのか疑問を持つようになりました。
きっかけは、自分の経験。東大に入ったけれど、やりたいことが見つからなかった
東郷:受験教育の中で、「他者と比べてどれだけ良い点を取るか」を競わされてきた僕たちが、大学という一旦のゴールを迎える。すると、そこには無限の可能性が待っています。 僕が東大に入って、目の前の可能性を前にして思ったことは、自分が何をやりたいかがわからない。「どうやって生きていけばいいんだろう」と思いながら、漠然と大学生活を送っていました。 そして、大学3年生の就職活動で悩んだ時に、小中高の記憶が蘇ってきて。そうすると結局、だれかが太鼓判を押すとか、社会的に良さそうな企業に行くことが正解だと思っちゃうんですよね。 すみれ:実際、未だにその風潮はありますよね。良い大学に入って、良い企業に入ることが正解だという。 東郷:そうなんですよね。子どもの頃から受験教育だけを受けていると、モロに影響を受けてしまって。自分がやりたいかどうかではなく、「なんか良さそうだから」という理由で、就職先を選んでしまう。 そういうのが、すごくもったいないなと思っていて。社会から与えられた軸で相対評価される受験教育だけを受けてきたばかりに、数ある選択肢の中から、「自分が何をしたいか」を見つける力が弱まってしまって、自分では選べないから社会に選んでもらっている。それが、すごくもったいないなと思っています。