東京都知事選「死んだはずの男が立候補」という前代未聞のミステリー
選挙妨害の作戦
それにしてもなぜ「候補者の橋本勝」はこのような振る舞いに出たのだろうか。ここでも実は「名前」が謎を解くカギになってくる。 この選挙で自民党が推していたのは東龍太郎という候補者だった。これに対抗して野党が共闘して立てたのが、阪本勝候補である。 野党が結集した革新勢力にはそれなりの勢いがあり、前回、前々回の都知事選でも健闘をしていた。が、自民党側は今回ばかりは絶対に負けられないと考えていた。というのも翌年に東京オリンピックを控えていたからだ。 自民党側の「革新勢力潰し」は今では考えられないほどひどいものだった。なにせ右翼系の泡沫候補を立てるということまでしたのだ。 これら泡沫候補やその運動員が、街頭演説や立ち合い演説会の場で、阪本候補の妨害を露骨に行う。時には暴れて暴力沙汰も起こす。 阪本陣営によれば、立会演説会63回のうち、まともに話せたのは1,2回だったというからすさまじい。 さて、そして「橋本勝」である。「阪本勝」と名前がかなり似ていることは一目瞭然だろう。
このように妨害したい候補と名前がよく似ている人を立候補させて、有権者を混乱させるという戦法はまれに見られるものだったという。実際、この都知事選にはもうひとり、「中山勝」という候補者も出ている。中山は1万8千票を獲得した。 このように阪本勝と間違える人が多ければ多いほど、東候補には有利になる。そんな計算がこの一件の裏側にはあったのだ。 このようなことは選挙後に、選挙違反で逮捕された人物の取り調べから見えてきた。が、この人物は公判途中で死亡してしまったため、その背後の黒幕は不明なままになっている。
正体は不明なまま
ところで、「候補者の橋本勝」はどうなったか。実は彼も選挙後に逮捕されている。 彼は投票日当日、居住していた目黒区の投票所で投票をした。これが彼の命運を決めることとなった。 彼は「戸籍上の橋本勝」ではないにもかかわらず、その立場で投票したことが「詐偽投票」にあたるという容疑で逮捕されたのだ。 結果、わかった事実は以下の通りである。 ・1938年に上京した時点で「橋本勝」を名乗っていた ・1939年に結婚、4人の子どもが生まれたが、すぐに婚姻届や出生届は出さず、1955年に「大阪の橋本勝」の戸籍に届出を出した ・1949年に目黒区議選に出馬して落選 ・1939年から横領、選挙違反、恐喝等で10回検挙され、2回裁判を受けているが、いずれも「橋本勝」で通している。 都知事選への立候補が阪本候補の妨害目的であることは確定的だったものの、今回のためにどこからか戸籍を流用した可能性は薄いこともわかった。 そして検察は、この人物が何者なのかを特定することはできないままだった。本人は有罪判決を受けてもなお、自分が本物だという主張を崩さなかったのだ。 そのため、驚くべきことに、検察も最後までその正体はおろか、そもそも日本国籍を有しているのかすら、突き止められなかったという。 このように前代未聞の幽霊候補は、正体を明らかにすることなく、歴史の闇へと消えていったのである。 ※『ヤバい選挙』より一部抜粋・再構成。
デイリー新潮編集部
新潮社