引退した岡崎慎司さん、滝川第二高で磨いた「人間性=サッカー」 監督として「ワールドカップ優勝」導きたい
今季限りで引退したサッカー元日本代表FW岡崎慎司さん(38)=兵庫県宝塚市出身=が、神戸新聞社の単独インタビューに応じた。悩み、もがき、「世界」と戦い続けた現役生活。人間的に成長させてくれた滝川第二高(神戸市西区)での3年間が、いつも心の支えだった。(有島弘記) 【写真】現役生活を笑顔で振り返る岡崎慎司さん ■人格形成 当時の監督で同校を名門に育てた黒田和生さんを人生の師と仰ぐ。岡崎さんは3年連続で全国選手権に出場するなど大舞台を踏んできたが、最も印象に残った試合は、恩師の笑顔とともに脳裏に刻み込まれている。 「2年生の兵庫県予選決勝。市尼(市尼崎)とやってロスタイムに同点ゴールを決めた。その時の黒田先生の顔が忘れられない。必死に喜ぶ姿がテレビに映っていて、役に立ったと感じた」 3年間の学びは「人間性=サッカー」だった。 「黒田先生がとにかく言っていた。授業をちゃんと受けない、人によく思われていない人間は、サッカーでもうまくいかない。プロになって苦しい時、自分に矢印を向けられた」 教えは、海外初挑戦のシュツットガルト(ドイツ)で生きる。当時は欧州で活躍する日本人は少なく、「ひ弱」というレッテルを貼られながらも徐々に評価を高め、移籍先のマインツ(ドイツ)で自身の欧州最高となる15得点を奪ってみせた。 「我慢が大事。我慢できたのは高校生までに精神的な部分を磨かれたから。(存在価値の)証明のためにゴールにフォーカスした」 他国に移籍しても同じことの繰り返しだった。イングランド・プレミアリーグで初優勝を味わったレスター、チーム得点王に輝いたウエスカ(スペイン)。ともに1年目から結果を残したが、適応したのは試行錯誤を重ねた後半戦からだった。 ■指導の手本 岡崎さんはこの夏、自身が創設したドイツ6部のバサラマインツの監督に転じる。 「原点は黒田先生と荒川友康さん。黒田先生の人間的な成長を促す部分、友康さんの戦術やサッカーの考え方を基準にアップデートしたい」 荒川さんは高校時代のコーチで、アルゼンチンの名将マルセロ・ビエルサさんを側近として支えたことがあり、グループのバサラ兵庫の監督を託している。 黒田さんの教え子にはJ1神戸の吉田孝行監督ら監督業で活躍する人も多い。その輪に加わる岡崎さんには野望がある。 「ヨーロッパでやれる監督が日本代表をワールドカップ優勝に導く人だと思っている。そこに挑戦したい」 【おかざき・しんじ】1986年4月16日生まれ。宝塚市出身。宝塚ジュニアFCでサッカーを始め、中学時代は三田市立けやき台中のサッカー部にも所属した。滝川第二高を経て2005年、Jリーグ清水に入団。11年から海外に渡り、16年にイングランド・プレミアリーグのレスターを初優勝に導くなど欧州4カ国で活躍した。日本代表としてワールドカップに3大会連続出場し、国際Aマッチ通算50得点は歴代3位。今季限りで引退し、ドイツ6部のバサラマインツで監督を務める